(82) イエスをお墓におさめる

イエスが十字架上で息を引き取られたのが午後3時頃。そのまわりでは人々があわただしく動き始めました。もうすぐ日が落ちると土曜日=安息日になってしまうから。

☆そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。(ヨハネ 19:41)

Burial of Christ
[1]「Burial of Christ(1800s)」Carl Bloch[2]

聖書の申命記21章に「処刑され、木にかけられた死体はのろわれているから、必ずその日のうちに埋めよ」と定められています。それにユダヤ人は安息日に“汚れたもの”にさわることができません。母マリアや弟たちは急いでイエスを埋葬したかったでしょうが、ここはエルサレム。地元ガリラヤにはイエスの父ヨセフの墓があったと思われますが、仮に遠いガリラヤまで運べたにせよ、 囚人は家族の墓に葬ることが許されていません。 イエスの体は、そのへんの共同墓地にドサッ…ということになるはずでした。

ところがそこになんと、イエス殺害を扇動した最高議会サンへドリンの議員ヨセフが現れ、ローマ総督ピラトに、イエスの遺体の引き取りを願い出たのです。彼は議会の決定には反対で、ひそかにイエスの弟子となっていたのでした。ピラトは彼への遺体下げ渡しを許可しました。ヨセフは金持ちです。彼は処刑場の近くに自分用の新しい墓を持っていました。岩をくり抜いて造ったりっぱな墓。それをイエスに提供するのです。またそこに、前に夜イエスに教えを乞いに来た、やはり議員であるニコデモも、高価な香料をたくさん持ってやって来ました。彼らはイエスの体を清めて香料を塗り、亜麻布で巻いて墓におさめました。[3]

《[Israel, Tomb of Jesus](イスラエル イエスの墓)で画像検索 丸い石で入り口を塞ぐ墓の構造を見せる》

二人は地位を失うことを恐れて、これまでイエスの弟子だと言えずにいたのでしょう。しかし彼らが勇気を出したおかげで、イエスは“だれも出入りできない”墓におさめられました。この時はまだ二人ともその重要さを知らずにいましたが。人が大事な仕事をする時は、神さまは必要な勇気や知恵を与えてくださるし、成し遂げられるよう守り導いてもくださるのですね。

その一部始終を、マグダラのマリアと何人かの女たちが見守っていました。安息日前にできたのはここまでです。

☆彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。(マタイ 27:66)

さて次の日。ついにイエスを抹殺してやった!と心の中でガッツポーズでもしていたはずの祭司長やパリサイ人ら律法学者たちは、まだ不安にかられていました。そうだ、やつは「自分は死んでも三日目によみがえる」と言っていた…。あの弟子どもが死体を盗み出して「主はよみがえられた!」などと言い出したら、その方がよほど大変だ…。

彼らはまたもやピラトのところに行って訴えました。

「三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。
そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、
『イエスは死人の中から、よみがえった』と、
民衆に言いふらすかも知れません。」

(口語訳聖書 マタイ 27:64)

ピラトは、やれやれこの一件はまだ続いとるのか…とでも思ったのでしょうか。番兵を出してやるから、満足いくまで番をさせるがよい!と彼らの要求を聞いてやりました。番兵たちは墓の入り口に転がしかけてある石に封印をし、三日間、寝ずの番をすることになりました。

律法学者たちは、これで完ペキだ!と思ったことでしょう。だれもが簡単に出入りできる共同墓地じゃなくて済んだ。見張りもついた。三日が過ぎたら死体を確認すれば、やつの計画は終わりだ…

参考

立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2013.3.24

[1] 「聖画を用いる」

[2] 「キリストの埋葬」を描いた画家たち
「Entombment of Christ(1438–1440)」Fra Angelico
「Entombment of Christ(1450)」Rogier van der Weyden
「The Entombment of Christ(1601–1603)」Michelangelo Merisi da Caravaggio 他

[3] この時、イザヤ書53:9の預言が成就しました。「彼の墓は悪者どもとともに設けられ、富む者とともに葬られた。」…そう、主イエスは強盗たちとともに処刑され、富む者=金持ちのヨセフやニコデモの仲間として埋葬されたのでした。

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