(79) ピラトの裁判②

イエスに奇跡を見せてもらえなかったばかりか、何一つ聞き出すことさえできなかったヘロデは、ローマ総督ピラトの官邸にイエスを送り返して来ました。

☆「バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」(マタイ 27:17)

Ecce Homo(この人を見よ)
[1]「Ecce Homo(1871)」Antonio Ciseri[2]

どう見てもイエスという男は無罪だ… 死刑にはできない。ピラトは無能ではありませんでした。ユダヤ人指導者たちが訴えに来たのは、力も人気もあるイエスへのねたみからだと気づいていました。しかもこの裁判沙汰でゴタついている間に、妻から伝言が届いたのです。「あの正しい人と関わらないで。夕べ私は夢で、あの人のことで苦しい目に会いましたから」。“あの正しい人”… ピラト、この奥さんに示されたメッセージの方を選べば良かったのに…

ピラトは何とかしてユダヤ人たちを説得しようとします。イエスは無罪だ、ヘロデもそう判断した。私は彼を釈放するぞ! …指導者たちも、一緒にいる群衆も、ぎゃんぎゃん叫んでいます。ピラトは一つ思いつきました。過越の祭りの時、総督は群衆の望む囚人を一人だけ赦免してやる慣習があったのです。囚人の中に、バラバ・イエスという名の強盗殺人犯がいました。殺人犯とイエスのどちらかを赦免してやると言えば、さすがにイエスを選ぶだろう…。

ピラトは群衆に言いました。「今日はどちらかを赦免してやる! バラバか、イエスか!」 ところが祭司長や律法学者たちの権威もさるものでした。彼らは群衆をうまくたきつけたのです。群衆はいっせいに叫び始めました。「バラバだ! バラバを釈放しろ!!」

☆「十字架だ。十字架につけろ」(ルカ 23:21)

それこそ暴動になりそうな勢い…もう手に負えません。ピラトは群衆に宣告しました。自分たちで始末しろ。私はこの人の血に責任は無い! …この時群衆はこう答えたのです。「その人の血は私たちにかかってもいい!」

暴動化することだけは避けたいピラトは、とりあえずバラバを釈放し、イエスは鞭打つよう兵士たちに命じました。兵士たちはイエスの背中を思い切り鞭打つと、いばらの冠をかぶせ、紫の着物を着せ(=王に見立てている)、王様バンザ〜イとからかいました。頭を叩き、ビンタし、ツバを吐きかけ、さんざんなぶりものにしました。その傷ついて弱った姿を見れば、イエスには何の力も無いことを群衆が悟るのではないかとピラトは考えました。…が、彼らはますます殺気立って叫んだのです。「十字架だ! 十字架につけろ! 自分を神の子とするやつは死刑だ!」

もし本当に神の子だったら… ピラトの不安は消えません。イエスに答えさせようと彼はいきり立って言いました。私にはお前を釈放する権威も死刑にする権威もあるんだぞ! しかしイエスは、ここでも静かに彼におっしゃいました。

「あなたは、上から賜わるのでなければ、
わたしに対してなんの権威もない。
だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、
もっと大きい」

(口語訳聖書 ヨハネ 19:11)

その「引き渡した者」たちが、ピラトに決定的な言葉を吐きました。「ローマ皇帝に背く男を釈放するなら、あなたは皇帝の敵だ!」。彼らが皇帝に訴えれば、自分は失脚するかもしれん…! ピラトの負けでした。彼はついに、イエスを十字架につけるため、ユダヤ人に引き渡しました。

参考

城山キリスト教会 関根弘興師礼拝メッセージ@2014.2.16

[1] 「聖画を用いる」

[2] 「ピラトによるイエスの尋問」を描いた画家たち
「Christ before Pilate(17世紀後半)」Nicolaes Maes
「Christ in front of Pilate(1881)」Mihály Munkácsy
「What is truth?(1890)」Nikolai Ge 他

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