(41) パリサイ人のパン種

イエスと使徒たちの舟は、無事対岸の町に着きました。そこでも町の人々はすぐ「イエスさまだ!」と気がつき、町中の病人という病人をみもとに連れて来ます。

☆イエスは彼らをおいやしになった。…群衆は、…イスラエルの神をあがめた。(マタイ 15:30–31)

病人たちは、イエスの着物のふさにさわっただけで、皆いやされていきました。中には異邦人もいました。ある時、イエスのもとに異邦人の女[1]が駆けつけて来て叫びました。私の幼い娘を助けてください! 悪霊にとりつかれた娘を!!… イエスのお仕事は、まず12人の使徒たちを訓練することでした。彼らに、神の国を宣べ伝える力を与えるためです。病人を治すのは、あわれむお気持ちからであって、この世に来られた目的は、“世界中の人の病気を治すこと”ではありません。だからイエスは女におっしゃいました。「子供たちからパンを取り上げて(ユダヤ人に福音を伝えるのを後回しにして)、小犬に投げてやる(異邦人を先にする)のは良くないことです」。ところが女の答は… 「主よ、そのとおりです! ただ小犬でも、子供たちのパンくず[2]はいただきます」 彼女のこの謙虚な言葉が、娘を救いました。あなたの信仰は立派です… そう言ってイエスはこの瞬間、彼女の娘をいやされました。

また病人だけでなく、ある町では、体に障害のある人々がおおぜい連れて来られました。イエスは彼らの、目を見えるようにし、耳を聴こえるようにし、歩けない人の足を立たせました。この時代、目が見えない=聖書を読めない、耳が聴こえない=預言者の言葉が聞けない、歩けない=礼拝に行かれない。つまり彼らは“神の祝福から漏れ落ちている者”でした。イエスはまず、そんな人々を、“福音を受け取れる状態”にしてくださったわけです。

☆パリサイ人のパン種…に十分気をつけなさい。(マルコ 8:15)

律法学者にお答えになるイエス(2)
イエスとパリサイ人との対立は次第に激化していった

どの町でも、大群衆がイエスに従います。それは、宗教的指導者であるパリサイ人[3]たちにとっては脅威です。ふだん首都エルサレムに住む彼らが、放置してはおけん!と、ガリラヤ地方まで調査に来ました。パリサイ人たちは、モーセの十戒を元に作り出された何百ものおきてをすべて守る者だけが神の国に入れる、と民に教えていました。イエスは彼らの間違いを正そうとなさいます。人間の考えた言い伝えを守ることを第一とするあなたがたは、神のまことのことばを無にしている、と。

パリサイ人はイエスに詰め寄ります。えらそうにわれわれを批判するというなら、天からのしるしを見せなさい! …すごい奇跡でも起こして見せなさいよ!というわけです。
しかしイエスのお返事は…

「ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう」

(口語訳聖書 マタイ 16:4)

それは、「私が十字架につけられ、死んで葬られ、三日目によみがえる姿を見ることだけが、人類に与えられる唯一のしるしだ」という意味でした。イエスは使徒たちに教えました。パリサイ人のパン種(教え)には、よくよく気をつけなさい。彼らに従ってはいけない…

これをやっていれば天国に行ける!という教えは、誰にでもわかりやすいため、つい従いたくなってしまいます。でも私たちは、神の国に入るのに、何百もの決まりを守る必要などまったくないのです。だって「私はイエスさまについていきます」と宣言するだけでOKだから!

参考

[1] 福音書の記者マルコは、この女を「ギリシャ人で、スロ・フェニキヤの生まれ」と書いています。スロ・フェニキヤとは、カナン地方の中心地です(現レバノン)。カナンと言えば、ユダヤとは敵対する民族。そのためか、福音書記者マタイは、彼女を「カナン人の女」としています。単に異邦人というよりは、「敵国の女」という感じになるのでしょうか。

[2] この日と前後して、イエスはわずかなパンと魚で「男だけで五千人」(ガリラヤ地方=ユダヤ人の地域にて)、「男だけで四千人」(デカポリス地方=異邦人の地域にて)の腹を満たす、という奇跡を行なっています。いずれも、皆が食べ終えたあとに多くの“お残し”が出るほどでした。「パンくず」とは、決して“わずかなおこぼれ”ではありません。福音は、ユダヤ人であれ異邦人であれ、おおぜいが十分にいただいても、まだまだたっぷりとあるのです。

[3] パリサイ人とは、「パリサイという国の人」という意味ではなく、「パリサイ派に属する律法学者」のことです。律法学者の中でも、特に厳格に律法を守ることを目指した一派。「パリサイ」はヘブル語で“分離された人々”の意だそうで、「自分たちは、他のユルい連中とは違うのである!」という主張を感じますね。
ただ、彼らは決して“邪悪な者たち”だったわけではなく、本当に命がけで律法を守っていた、ストイックな人々でした。職業を別に持つことで収入を得ていて、聖書の指導は完全に無償奉仕でしていたほどです。だからこそ、社会からの尊敬も勝ち得ていたし、民を指導することもできたのです。彼らにしてみれば、イエスのような「異端」を放置しておいては、国がダメになる!と必死だったのでしょう。残念ながら、そのエネルギーを注ぎ込む方向は、間違っていたわけですが。

ブリッジス・フォー・ピース・ジャパン 〜知る・学ぶ〜ティーチングレター〜バックナンバー「パリサイ人 -モーセの座を占めていた人々-」Part-1/Part-2

ぬりえ

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