(80) ゴルゴタ

逮捕からたった一晩。裁判とは言っても、ギャーギャー大騒ぎする群衆の圧力に負けた総督が「もう知らん!」と放り出しただけの判決で、イエスの死刑が決まりました。

☆彼らはイエスを、ゴルゴタという所に連れて行った。(マルコ 15:22)

悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)
悲しみの道(Via Dolorosa)沿いにあるレリーフ

刑場は、エルサレムの町の外にあります。ピラトの官邸からは1㎞足らず、さして遠くはないのですが、死刑囚は自分がかけられる十字架の横木を、自分で刑場までかついでいかなければなりませんでした。

イエスは、逮捕の夜は一睡もされておらず、次々と裁判に引き回されています。そして鞭打たれた上で、重い木材を背負って歩いていらっしゃいます。もうフラフラだったでしょう。何度か倒れられたかもしれません。ローマ兵はたまたま通りかかったクレネ人のシモンという男に、イエスの横木をむりやり運ばせました。

そのうしろから大群衆がついて来ます。その中に女たちが混じっていました。彼女たちはイエスにすがりつかんばかりに泣き悲しんでいました。イエスは彼女たちにことばをかけられます。わたしのことで泣いてはいけない…むしろ自分と子供たちのことで泣きなさい… 近い将来、恐ろしい災いの日が来るのだから…

やがて彼らはゴルゴタという所に着きました。ヘブル語で「どくろ」という意味です。そこでローマ兵は、刑の執行前に麻酔代わりとなる没薬入りのぶどう酒をイエスに飲ませようとしました。が、イエスはお飲みになりませんでした。

☆彼らはその場所でイエスを十字架につけた。(ヨハネ 19:18)

Calvary(どくろの丘)
[1]「Calvary(1580–1588)」Paolo Veronese[2]

イエスとともに、あと二人の犯罪人も引き立てられていました。聖書には「そこで彼らはイエスとほかの二人とを十字架につけた」としか書かれていません。十字架刑は、ローマ帝国では頻繁に行われていたそうなので、説明不要だったのかも…。死刑囚を裸にし、両手首を横木に釘で打ち付け、足はかかとを縦木に打ち付けるのです。それだけですから、普通は死ぬまでに何日もかかります。最も残酷な、見せしめの刑罰でした。この時イエスたちが架けられたのは午前9時。

兵士たちはイエスの上着をはぎ取ると、4つに裂いて4人で分けました。下着は縫い目なしの一枚織りだったので、裂かずにくじを引いて当てた者が取りました[3]。ここで聖書(詩篇22:18)が成就したとヨハネは書いています。ユダヤ人の祭司長たちは、イエスの頭上に掲げられた罪状書きに噛み付きました。「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」… ユダヤの王と“自称した”と書き直してくださいっ! …が、ピラトはそれをはねつけたので、そのままになりました。

苦しい息の下でこれらの人々を見ながら、イエスはこうおっしゃったとあります。

「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」

(口語訳聖書 ルカ 23:34)

イエスさま、ごめんなさい。私たちも、自分の罪があなたを十字架につけてしまったことを知りませんでした。でも今は知っています。あなたがすでに赦してくださったと。

参考

立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2013.3.17

[1] 「聖画を用いる」

[2] 「キリストの磔刑」を描いた画家たち
「Crucifixion(15世紀半ば)」Andrea Mantegna
「The Crucifixion(16世紀半ば)」Theophanes the Cretan 他多数(無数!)

[3] 「イエスさまの衣服について」

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