(48) キリストなのか 違うのか

季節は秋。ユダヤの祭りのうちの「仮庵の祭り」[1]の時期でした。民が国中からエルサレムに上ります。イエスも、この時はなぜかひっそりと、エルサレムに入られました。

☆「良い人だ。」と言う者もあり、「違う。群衆を惑わしているのだ。」と言う者もいた。(ヨハネ 7:12)

律法学者にお答えになるイエス(2)
イエスは危険だ…! 宗教的指導者たちの危機感は募る

エルサレムでは、イエスに敵意を抱く者たち=律法学者や祭司長らの宗教的な指導者たちが待ち構えていました。危険分子イエス! 何とか理由を探して逮捕し、早いうちに叩き潰さねば、われらの権威は地に落ちる!…ところが、そこまでの危機感を持っていながら、彼らはイエスを捕えられずにいました。なぜなら、一つには「イエスの時が、まだ来ていなかったから」(ヨハネ 7:30)。神の時が来なければ、やはり人間には動かせないことがあるのです。

もう一つには。イエスの教えに、指導者たち自身が驚いてしまったからでした。当時は、一般庶民が聖書を持っていることはありませんでした。聖書は会堂にあり、指導者が読んでくれるものだったのです。まして解き明かしができるくらいになるには、誰かの弟子になって学ばなくてはとてもムリでした。それなのに、たかが大工の子が、なぜこれほど聖書を知り、解き明かすことができるのか!?…

指導者たちでさえ混乱するほどです。群衆の間ではなおのこと意見が分裂していました。こんな奇跡が行なえるのはキリストだからだ! イエスさまこそ救い主だ! …いや、絶対に違う! だって彼はガリラヤ出身[2]じゃないか! キリストはベツレヘムから出ると聖書にある!! …イエスさま、ベツレヘムでお生まれになったんですけどね(^_^; ただ当時は、キリストはある日突然、どこからともなく現れると考えられていたのです。だから、出自のわかっている者がキリストであるはずがない→つまりにせキリストだっっ、となったわけです。

☆わたしはその方を知っています。…その方がわたしを遣わしたからです。(ヨハネ 7:29)

“キリストのはずがない”派の人々は、当然ながらイエスを非難します。自分がキリストだとか、殺されるだとか、アタマおかしいんじゃないのか!? しかし、それに対するイエスのお答えは明快です。あなたがたは、私がガリラヤから来たことを知っている。だが、本当にどこから来たのかは知らない。私は自分から来たのではなく、ある方から遣わされて来た。だが、あなたがたはその方を知らない。それを知りたいのなら。

神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、
わたしの語っているこの教が神からのものか、
それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう。

(口語訳聖書 ヨハネ 7:17)

イエスがキリストであるかどうかを知りたいなら、やることは一つでいいのです。神さまのみこころを行ないたいと願うこと。そうすれば、イエスの教えこそが神の教えであるとわかるというのです。

祭りの最終日、イエスは人々に宣言なさいました。私を信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる!… これは、イエスが十字架上で死なれ、よみがえられたあと、人々に聖霊が送られることを予告したものでした。私たちも、神さまのみこころを知りたい!と願えば、聖霊を注いでいただけます。聖霊は、神さまの教えがよくわかるように助けてくださいます。

参考

[1] 「仮庵の祭り」はいわゆる収穫感謝祭です。今の暦で言うと10月中旬頃、8日間に渡って行なわれます。モーセの時代、エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野で「仮住まいのテント」暮らしをしました。そのことを代々記憶していくため、木の枝などで粗末な小屋を作り、祭りの間中を過ごすのです(レビ 23:34–43)。

[2] 人々は完全に「イエスはガリラヤ生まれである」と思い込んでいたようです。確かにイエスさまはナザレで育ち、カペナウムに居住してはいましたが、「いや、そう言や、どこかよその町で生まれて、幼い時にナザレに戻ってきたよ」と、知っている人覚えている人がいてもよさそうなものなのに(^_^? 宗教的指導者たちが「イエスなんてガリラヤの田舎もん!」的な発言をするので、それに影響を受けていたのかもしれません。
指導者たちは、この時期すでにイエスを抹殺しようと必死になっており、言動も冷静さを欠いてきています。イエスを捕えさせるため派遣した役人たちが、結局“ミイラ取りがミイラになって”帰って来ると、「おまえたちは呪われている! 指導者でイエスを信じる者が一人でもいるか!」…います。おそらく複数いた模様ですが、この時はニコデモ。しかしニコデモが彼らのやり方に異議を唱えると、「あなたもガリラヤ人か!? ガリラヤ出身の預言者なんかいるか!」…います。ヨナ(ガリラヤのガト・ヘフェル出身)。彼らほど聖書を熟読している人たちはいないくらいなのに… その焦燥感は大変なものだったのでしょう。自分たちこそが、神に認められ、御使いの歓待を受けて天国に迎え入れられるべき存在なのに、なんでガリラヤの、田舎もんの、貧乏人の、大工の子なんかに否定されなきゃならんのだっっ! 首都エルサレムの、最高峰の位置にいる彼らの、地方に対する愚かな差別意識が、大切な真理に近づく機会を無にしてしまいました。

ぬりえ

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