(49) 罪の無い者が最初の石を投げよ

その日の朝も、いやどんな日でもどんな場所でも、イエスは夜の明けないうちに、父なる神さまと1対1で対話しておられました。その時はエルサレム近郊オリーブ山で。

☆先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。(ヨハネ 8:4)

罪のない者が最初の石を投げよ
律法学者たちは 年長の者から一人ずつその場を去っていった…

明け方になり、山から下りて来られると、イエスはそのままもう一度神殿に入られました。早朝と言うのに、群衆があっという間にイエスを取り囲みます。イエスはその場におすわりになると、彼らに教え始められました。

そこにやって来たのがパリサイ人などの律法学者たち。一人の女をひったてています。彼らはイエスに言います。「先生。この女は姦淫の現場で捕えられました。モーセは律法の中で、こういう女は石打ちにせよと命じています。あなたはどうしろとおっしゃいますかね?」… 石打ちとはつまり死刑です。それも、小さめの石を投げつけ、時間をかけて執行する、かなり残酷な刑罰。聖書によれば、今でいう不倫はそれほど重い罪だということです。

しかし、律法学者たちの目的は、女を石打ちにしたいということではありませんでした。彼らが抹殺したいのは、“たかが女”ではなく、イエスなのです。とにかくイエスに失敗させたい、あやまちを犯させたい、訴え出て、裁判にかけ、死刑に持ち込むための口実がほしい! 今ここで大勢に語っていた「神は愛」を実践するなら、死刑=人殺しはみこころではないとかなんとか言うしかなかろ!? だがもし彼がそう言いさえすれば、われわれは彼を告発できる! なぜなら立派な律法違反だから!!

ここまで醜くゆがんだ感情を抱いた時点で、自分たち何かおかしい…と気づく人はいなかったのか(-“-?)と思いますが、彼らは本当に、律法を守ることに命がけだったのです。

☆今からは決して罪を犯してはなりません。(ヨハネ 8:11)

律法学者たちが何を求めてこの問いをふっかけてきているか、イエスは当然ご存じだったでしょう。うんざりされていたか、あるいは自力で愚かさに気づいてほしいと願っておられたか、しばらくは無視していらっしゃいました(その間、指で地面に何かを書いていらしたようです。いったい何を…?)。けれど律法学者たちは殺気だって、やいのやいのと大騒ぎ。すると、やっとイエスは身を起こし、彼らに向かって口を開かれました。

「あなたがたの中で罪のない者が、
まずこの女に石を投げつけるがよい」

(口語訳聖書 ヨハネ 8:7)

彼らはそれを聞くと、しーんとしてしまいました。そして年長の者から、一人…また一人…と、その場を離れて行きました。彼らには「自分には罪がない」と宣言することはできなかったのです。それは、それこそ自分を神扱いすること=律法違反だから! 最後にひとり残された女に、イエスはおっしゃいました。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」

イエスは女を赦したわけではありません。罪は罪。彼女は赦されないことをしたのです。今から彼女ができることは、心から悔い改めて神を見上げること、もう罪を犯さぬよう自分を律することです。そしてまた、彼女がどれほどの重罪人であれ、人間には「絶対正しいさばき」を下すことはできません。それは神さまがしてくださることなのです。

ぬりえ

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