(21) ベテスダの池

ユダヤのお祭りの時期が来て、イエスさまはまたエルサレムに上られました。このできごとは、エルサレムにある「ベテスダの池」と呼ばれるところで起こりました。

☆起きて、床を取り上げて歩きなさい。(ヨハネ 5:8)

ベテスダの池は、いわゆる湯治場でした。水やお湯に入って病気を治すための場所です。そこにはイスラエル中から、多くの病人や障害を持った人々が集まってきていました。

[ベテスダの池] イスラエル博物館にある復元建造物》[1]

池と言っても、それは人工の大きな四角いプールで、そのプールを囲むように回廊があり、人々はそこで「水が動くのを待っていた」のです。ときおり水が湧き出してくる瞬間に最初に池に入った者がいやされる!…という話が広まっていたようです。水が動くと、みな我れ先にと池に降りていくのでした。

ベテスダの池
ベテスダの池の回廊で イエスは男におっしゃった

イエスはその池に来られると、おおぜいの病人の中の、ある一人の男に声をかけました。
「よくなりたいか?」
その男は38年間寝たきりでした。きっと誰かに池まではつれてきてもらったものの、そのあとはどうしようもなくただ伏せっていたのでしょう。よくなりたいか?と問われたのに、そんなことはもうあきらめているかのような返事をしました。
水が動いても、私を入れてくれる人はいません… ほかの人が先に降りていくんです…

ところが、イエスが彼に「床を取り上げて歩きなさい」とひとことおっしゃったかと思うと、男はすぐになおり、立ち上がって歩き出したのです。多くの病人がいる中で、イエスがなぜ彼を選ばれたのかはわかりません。ただ言えるのは、彼にはイエスのおことばに従う信仰があったということです。聖書によれば、「起きよ」と言われた時に「起きてみよう」とする人にだけ、イエスは奇蹟を行なわれるからです。[2]

☆聞く者は生きるのです。(ヨハネ 5:25)

このできごとを知り、律法学者たちがまた騒ぎ出しました。もともと律法とは、モーセの十戒のこと。 神がイスラエルに与えた十の戒めです。その中に「安息日を聖なる日とせよ」というのがありました。それは、一週間に一日は仕事を休み、神を礼拝しなさいという意味でした。

しかし、その後長い年月がたつ間に、律法学者がいろいろ細かい規則を考え出していました。どこまでを仕事と呼ぶか。水くみは仕事=やっちゃダメ。でも井戸に羊が落ちたら助け上げてもいい。歩くのは約1㎞まではOK、でも何かをかついじゃダメ。…なんだかんだでその数は何百にもなっていました。そのうちの「床をかつぐ」という律法違反を命じた!と、彼らは怒ったのです。

律法学者にお答えになるイエス
律法学者たちの抗議に イエスはお答えになる

そんな彼らに、イエスは答えられました。

「わたしの父は今に至るまで働いておられる。
わたしも働くのである」。

(口語訳聖書 ヨハネ 5:17)

父は、ご自分がなさりたいことをすべて私にゆだねられている。私がしているのは、神がなさっているのと同じなのだ…。このことばの意味が、律法学者たちにはわかりませんでした。彼らが考えたのは「イエスは死刑にしなくてはならない」。なぜなら彼は、律法を破ったばかりでなく、自分を神だと言って神の御名を汚したから!

この時イエスさまがおっしゃったことを、私たちは、正しく理解しましょう。
「わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」

参考

[1] ベテスダの池は1888年に発掘されました。イエスの時代から300年後くらいにはまだそのままの姿で使われていた記録があるようですが、その後は、発掘されるまで、破壊され、埋められ、また別の建物が建てられ、また破壊され… が数回繰り返された模様です。発掘調査はいまだ進行中で、イスラエル博物館にある復元モデルも、あくまでも想像図に基づいたものということになります。
イエスの時代には、プールの底にパイプを設置し、ときおり空気の力で水を動かす仕組みになっていたとわかってきているそうです。
ブリッジス・フォー・ピース・ジャパン 〜知る・学ぶ〜ティーチングレター〜バックナンバー「神が与える癒やし」

[2] 城山キリスト教会 関根弘興師礼拝メッセージ@2018.7.1

ぬりえ

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