その日、またあるパリサイ人がイエスを招きました。イエスは彼の家に行き、食卓に着かれます。イエスはパリサイ人たちをも、ちゃんと教えようとしておられたのですね。
☆忌まわしいものだ。律法の専門家たち。(ルカ 11:52)
さて食事の用意はできましたが、イエスは「きよめの洗い」をなさいません。招いたパリサイ人は驚きます。きよめの洗いとは、“ゴハンの前に手を洗いましょう”ということではなく、パリサイ派が教え続けてきた “食事の前には汚れを取り除かなければならない” というおきてです。
イエスは答えます。そう、あなたがたパリサイ人は、外側は熱心にきよめるけれども、内側は汚れたままだ…
パリサイ派の律法学者や祭司[1]は、聖書のことは本当によく学んでいました。聖書に逆らうようなことを言っていたわけではないのです。神がモーセに与えた律法(十戒)を非常に深く研究し、忠実に守り、神の国に入るにはどうしたら良いかと考えているうちに、何百ものおきてを作り出してしまっていました。
たとえば「主の安息日に仕事をしてはならない」では…
荷物を運ぶのは仕事だからダメ。干しいちじく2つ分より重いものを運んじゃダメ。人が崩れた壁の下敷きになったとして、生きてれば助けてもいいけど、もう死んでたら運んじゃダメ… って何じゃそりゃ(@_@;)
パリサイ人は、人数も多かったし、また多くの人々を教える立場にありました。そして彼らは人々に、これらのおきてを全部守らなくては神の国に入れない!と教えていました。人々には大変なストレスです。もうまったく「安息の日」ではありませんね。イエスは、神に従うとはそういうことではないのだと、パリサイ人を叱りつけられたわけです。まずあなたがたが、神によって、内側=心をきよめていただきなさい、と。
☆あなたがたは、神の国を求めなさい。(ルカ 12:31)
しかしこのパリサイ人の陥った過ちは、私たちにとっても他人事ではありません。人間は、願いごとがあるとき、「具体的に何かをする」ことに頼りたくなりがちなのです。百回お参りすれば願いが叶う、とかね。占いには必ず「今日のラッキーカラー:緑」とか書いてあるでしょう(^_^; ラッキープレイスは音楽室♪とか。誰でも“やればできる”ようなこと… それさえやればいいんなら… で自分を安心させたいのです。
ユダヤの人々も同じでした。誰もがそれぞれにいろいろな不安を抱えて生きていました。 今日食べるものは… 明日着るものは… 言うべき言葉は… この問題の答えは…。 そんな彼らにイエスはおっしゃいました。
ただ、御国を求めなさい。
そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。(ルカ 12:31)
何も心配することはない。一羽のスズメでさえ神は守っておられるのだ。ましてあなたがたを守ってくださらないことがあろうか…! このメッセージ=神のみもとに帰りなさい、そうすればあなたは守られ、必要な物は与えられ、恐れは消え去る=は、この時の他にも、イエスは何度も、くりかえしくりかえし教えておられます。
「神に返る」は、百回お参りするより、緑の服着て音楽室に行く(?)より、ずっと簡単です。イエスさま〜 神の国に行きたいです!と毎日祈っていればいいのです。そのために今やるべきことは、イエスさまが教えてくださいます。
参考
[1] パリサイ人について
ブリッジス・フォー・ピース・ジャパン 〜知る・学ぶ〜ティーチングレター〜バックナンバー「パリサイ人 -モーセの座を占めていた人々-」Part-1/Part-2
ぬりえ
- 「空の鳥 野のゆり」のぬりえをダウンロード(JPG)