(33) 天国についてのたとえ

イエスはおおぜいの群衆に教える時、よく「たとえ」を用いられました。たとえには、いかにもユダヤ人にわかりやすい、身近なものが使われました。

☆聞く耳のある者は聞きなさい。(マルコ 4:9)

ガリラヤ湖の夜明け
現代のガリラヤ湖(撮影@2000年5月)

その日イエスは、ガリラヤ湖畔にいらっしゃいました。するとまたまたおおぜいの群衆が集まってきます。イエスはそういう時、湖に浮かぶ舟に移り、浜に立つ群衆に向かって語られました。ガリラヤ湖は、ヨルダン渓谷にあり、山々に囲まれています[1]。そして昼間は、湖から陸に向かって風が吹く。その風に乗って声が届いたわけです。ちょうどアリーナからスタンドに向けてスピーチするみたいに。

その日の教えのテーマは「天国とはどういうところか」イエスは群衆に教える時、たとえを用いられました。その日もそうでした。弟子たちは質問します。弟子には解き明かしをしてくださるのに、なぜ人々にはたとえで教えられるのですか? イエスのお答えは「彼らは、天国が本当はどういうものなのか、理解できないからです」

そう、人々は「天国(神の国)」とは、ローマ帝国の支配を打ち破って建設される独立国家のことだと考えていたのです。でもイエスのおっしゃる天国とは、イスラエルにとってだけの、小さな国のことではありませんでした。それはイエスとともに静かにやってきたけれども、やがて世界中に広がって行き、全人類を導き入れる国なのです。

☆神の国は、何に似ているでしょう。(ルカ 13:18)

種蒔きのたとえ
良い地とは みことばを受け入れる良い心のことです

さて、天国に関するたとえ。
その1;ある人が種蒔きをした。[2]
①道ばたに落ちた種は 鳥が食べてしまった
②岩地に落ちた種は 根をはれず枯れてしまった
③いばらの中に落ちた種は いばらのつるにふさがれ 伸びられなくなってしまった
そして④…

ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、
ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった。

(マルコ 4:8)

弟子たちにはこのたとえの意味も説明してくださいます。
「種を蒔く」とは「神のみことばを蒔く」ということ。
①みことばを聞いても 悪魔に持ち去られてしまう人
②足元がしっかりせず 困難が起きるとすぐダメになる人
③この世のあれこれにからめとられて 実を結べない人
④みことばを受け入れ おおぜいに伝道するようになる人
…そうか、良い地であろう!と彼らは思ったでしょうね。

その2;天国とは「からし種」のようなもの
どんな種よりも小さいが、生長すると鳥が巣を作るほどの木になる。
→今は小さいが、いつの間にか拡大してゆく。

その3;天国とは「畑に隠された宝のようなもの」
もしも見つけたら、人は大喜びし、財産を全部手放してもその畑を買う。
→全てを捨てても惜しくない価値がある。

その4;「良い麦と毒麦[3]」「魚をとる地引き網」のよう
これはこわい。農家では良い麦と毒麦を、漁師は網の中の良い魚と悪い魚を、どちらも最後に選り分ける。天国でも最後に御使いたちが、悪い者を選り分けて炉に投げ込む…

たとえはまだ他にもあります。それだけの数で示されても、群衆の中にはちゃんとわからない人がいたわけです。が、今の私たちには、新約聖書によってそのたとえの意味が解き明かされています。「良い地」とは何のことかがわかっているのです。それなら「良い地」でありましょう。多くの実を結ぶことができるように!

参考

[1] ガリラヤ湖の地形
BIBLEPLACES.COMの「Sea of Galilee」などの写真を見るとわかりやすいと思います。

[2] 幼稚科向けには手遊びをどうぞ→ 「たねまきポロ〜ン」

[3] 日本で実物を見ることも可能です→ 西南学院大学聖書植物園 〜植物一覧・検索「ドクムギ」 この写真ではコムギとは明らかに違うのがわかりますが、若いうちは確かに区別がつきにくいのだそうです。

ぬりえ

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