(8) サタンの誘惑

イエスさまは、わざわざ人間の姿となって地上にやってきてくださいました。そして「罪を犯す」以外のことはすべて、私たちと同じように経験してくださったのです。

☆御霊はイエスを荒野に追いやられた(マルコ 1:12)

ヨハネからバプテスマを受けられたイエスさまは、荒野に上って行かれました。なんと「悪魔の試みを受けるために」です。しかも “御霊に導かれて” とありますから、その試みは、神さまが悪魔(サタン=ギリシャ語で「試みる者」)にお許しになったことなのです。

《[Judean wilderness](ユダヤの荒野)で画像検索》

水も食べ物もない荒野で、イエスは四十日四十夜を断食して過ごされました。その後とてもおなかがすきました。そこに悪魔が近づいて来て言ったのです。「この石に、パンになれと命じなさい」。しかしイエスは答えられました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって生きる』と、聖書に書いてある」(申命記8:3)。

パンだけで生きるのではない
最初の誘惑は「力を用いて飢えを満たしなさい」

それから悪魔は、イエスを神殿の屋上に立たせて「飛び降りてみなさい」と言います。神の子なら、神さまが御使いに命じて守ってくださると聖書に書いてあるでしょう…。イエスの答は「神を試みてはならないとも書いてある」(申命記6:16)。

主を試みてはならない
「本当に神に愛されているかどうか確認なさい」

今度は悪魔は、高い山の上から世界中を見せると、「私を拝むなら、これらをすべてあなたにさしあげましょう」。その誘惑も、イエスはきっぱりとしりぞけられました(申命記6:13)。

「サタンよ、退け。
『主なるあなたの神を拝し、
ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

(口語訳聖書 マタイ 4:10)

主にだけ仕えよ
悪魔の見せる世界は幻 イエスを惑わすことはできません

悪魔は引き下がるしかありませんでした。すると代わりに御使いたちがあらわれて、イエスに仕えました。

☆サタンさえ光の御使いに変装するのです(Ⅱコリント 11:14)

悪魔は、悪に陥って神の前から追い払われた御使い。つまり、御使いと同じ力を持っている者です。人間がまともに戦っても、勝てる相手ではありません。

よく悪魔の絵というと、目がつりあがって、とんがった黒いシッポやツノが生えていますが、

《[Satan](悪魔)で画像検索するとそんなようなのがたくさん出てきます。欧米人にとっての“Satan”と、日本人のイメージする「悪魔」は、結構ちがうことがわかります》

実は悪魔は、そんなわかりやすい姿で現れてくれたりはしません。それなら子供でも警戒するでしょ。悪魔は、人間の目には天使と区別のつかないような姿でやってきます。自分を信じさせ、神を疑わせるのが目的なのだから、当然です。思わず信じてしまいたくなるようなやさしい声で、すがりつかずにいられないような話をしてきます。天使か悪魔か見破るのは、大人にだってむずかしいのです。

そしておぼえておかなくてはならないのは、イエスさまのところにさえ悪魔が来たように、私たちにも悪魔が近づくのを、時に神さまはお許しになるということです。もちろん、神さまが悪者を用いて人間にいじわるしてらっしゃるわけではありません。神さまが悪魔の行動を許しておられるのは、その誘惑をしりぞけることによって、私たちがより強くなり、成長することができるからです。

悪魔の目的は “神から人を引き離すこと”。神さま以外のところに、あなたの幸せがあると言います。他の神とは限りません。人だったり金だったり力だったり。幻を見せ、聖書の言葉を使いさえします。こわいですね。でも神さまは、あなたの弱さをよくわかっておられます。「いつも本物の神さまといよう」と祈っていれば、あとはイエスさまが、サタンをしりぞけてくださいます。

ぬりえ

シェアする