(57) パリサイ人と取税人の祈りのたとえ

ある時イエスさまは、パリサイ人(パリサイ派の宗教的指導者)たちから質問を受けました。「神の国はいつ来るのか?」…イエスさまは彼らにこう答えられました。

☆「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ 17:21)

パリサイ人たちは、「いつになったら、神さまから永遠の命をいただける、神の国に迎え入れられるのか」という意味の質問をしたわけではありませんでした。当時ユダヤ人たちが待ち望んでいた「神の国」とは、自分たちを支配するローマ帝国の圧政から解放された、ユダヤの独立国家のこと。何人もの革命家が試みては失敗してきた中で、「イエスよ。で、あんたはいつ反乱軍を決起させるつもりなんだ?」と言ったのです。

イエスのおっしゃる神の国は、もちろんそのようなこの世の王国のことではありません。イエスは答えられます。「神の国は、目に見えるように来るものではありません。『ここにある』とか『あそこにある』と言えるようなものではない。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」
父なる神によって、私がこの世に遣わされて来た。つまり神の国は“すでにやって来た”のだ。私の言葉を信じさえすれば、神の国はもうあなたがたの中に存在する…

しかしパリサイ人たちには、このことがどうしてもわかりませんでした。彼らが考えていたのは、イエスに暴動を起こさせないこと。もし独立に成功したら、イエスが国を治めることになる。敵対していた自分たちはどんな目に遭わされるかわからん! もし失敗したら、ローマ帝国にどんな目に遭わされるかわからん! どっちにしても「イエスを殺せ!」でした。

☆この人が、義と認められて家に帰りました。(ルカ 18:14)

弟子たちに教えるイエス(カラー)
イエスは十二人の弟子たちを徹底的に指導された

パリサイ人の教えは、民衆に大変な影響力がありました。ですからイエスは、その間違った教えから守るため、弟子たちに繰り返し繰り返し教えられました。もうすぐ私を見られなくなる。私はこの世に捨てられるから。だが、やがて再び現れる。その日にはこんなことが起こる…。それまで、パリサイ人のマネをしないよう、充分に気をつけていなさい。彼らは自分を正しいとし、ほかの人々を見下しているのです…。

パリサイ人と取税人の祈りのたとえ
人を見下す者になってはいけません

それを教えるのに、イエスは弟子たちにこんなたとえ話をなさいました。「パリサイ人と取税人が祈るために宮に上った。パリサイ人はこんな祈りをした。『神よ。私は他の人々のように悪事を働く者でなく、ことにこの取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、収入の十分の一をささげております』。ところが取税人は遠く離れて立ち、目を伏せ、自分の胸をたたいてこう言った。『神さま。このような罪人の私をあわれんでください』。義と認められたのはパリサイ人でなく、取税人の方です。

自分を高くする者は低くされ、
自分を低くする者は高くされるであろう」

(口語訳聖書 ルカ 18:14)

イエスのお言葉の本当の意味がちっともわかってない…という点では、弟子たちも似たようなものでした。しかし大きな違いがひとつありました。彼らはある時、そう!主のよみがえりを目撃した時、イエスの言葉の真の意味を悟るのです。その時こそ本当に彼らは主の前にひれ伏し、自分を低くしました。そして神に高くされ、人類の救いのために用いられていったのです。

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