(84) エマオへの道

イエスの弟子たちや、イエスに従っていた女たちも混乱していましたが、墓の番をしていたローマ兵やユダヤ人の指導者たちも大混乱です。「イエスの体が消えただと!?」

☆彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。(マタイ 28:15)

墓が開き、御使いが「主はよみがえられた」と告げるのを聞いたローマの番兵たち。あまりの光景にその時は腰を抜かしていましたが、さすがは兵士です。なんとか気を取り直すと、ユダヤの祭司長たちのところにすっとんで行きました。彼らの報告にあわてた祭司長らは、すぐさま長老たちを招集し、協議しました。どうなっているのだ、何人もの見張りをつけたというのに! いったいどうする!!

彼らは金持ちです。当然ながら金で解決する方法に行き着きました。番兵たちに大金をつかませ、ウソの証言をさせることにしたのです。「『夜、われわれが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスの体を盗んで行った』と言いふらせ!」… そうならないようおおぜいの見張りを自分たちがつけたのに。「もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから!」

ローマ兵にとっては、この事件の真実などどうでもいいことです。自分たちのミスだとされてクビが飛びさえしなければ! …彼らは熱心に言いふらしたのでしょう。「それで、この話が今日まで広くユダヤ人に広まっている」と書かれています。多くのユダヤ人は、現代に至るまで「イエスは神の子ではなかった」と思っています。が、それでもやはり、イエスを救い主と信じるユダヤ人(メシアニック・ジュー)は増えてきているそうです。真実は隠し切れはしないのですね。

☆しかし二人の目はさえぎられていて、イエスであることが分からなかった。(ルカ 24:16)

The Way to Emmaus
[1]「The Way to Emmaus(1877)」Robert Zünd[2]

同じ日。十二弟子ではありませんが、弟子たちのうちの二人が、エルサレムからエマオという村に向かっていました。彼らはもちろんこの“復活!?”事件について話し合っています。そこにイエスが近づいて来られ、声をかけられました。何の話をしているのですか… ところが彼らはそれがイエスとわからなかったというのです。救い主だと思っていたのに、指導者たちは処刑してしまった… ところが今朝女たちが行ってみると、墓はカラで、御使いが「イエスは生きておられる」と言ったと…。まるで見知らぬ人を相手にしているように答えています。イエスは、「なんて愚かな人たち… 預言者の言葉を信じないで…」と嘆くと、聖書の中からご自分について書いてあることがらを道々説き明かしてくださいました。

エマオに着くと、もう夕方でした。二人が「ぜひ一緒にお泊りください!」と引き止めると、イエスは聞き入れて、ともに食事の席についてくださいました。そしてパンを裂いて渡してくださったその時! 彼らの目は開かれました。「イエスさま!!」 …その瞬間、イエスの姿は消えてしまいました。

「道々お話しになったとき、
また聖書を説き明してくださったとき、
お互の心が内に燃えたではないか」

(口語訳聖書 ルカ 24:32)

心の目が見えず、イエスとわからないで混乱していても、イエスはご自分から私たちの方に近づいてくださいます。ああこれが真実かもしれない… きっとそうだ!と感じられるように語りかけてくださるのです。

参考

[1] 「聖画を用いる」

[2] 「エマオへの道」を描いた画家たち
「On the Road to Emmaus(1308–1311)」Duccio di Buoninsegna
「The Road to Emmaus(1516–1517)」Altobello Melone 他多数

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