イエスさまは、ユダヤ全土を巡って、福音を宣べ伝え、病人を治しておられました(相変わらず地元ナザレの人々だけは「大工の子じゃん!」とみくびっていましたが。)
☆こうして十二人が出て行き、悔い改めを説き広め、…(マルコ 6:12)
しかしどこへ行っても群衆はみなボロボロのヨレヨレ。そもそも人間は誰もが苦難と闘いながら生きているうえ、この頃のイスラエルはローマ帝国の圧政に疲れ果てていたのです。イエスは12人の使徒を呼び寄せて言われました。
「収穫は多いが、働き人が少ない。
だから、収穫の主に願って、その収穫のために
働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。(口語訳聖書 マタイ 9:37–38)
そして彼らに、悪霊を追い出し、病気を治す力と権威とをお授けになると、12人を二人ずつの組にして、イスラエル中の町や村に遣わされました。
使徒たちが出ていく前に、イエスは具体的な指示を出されました。
着替えも金も、何も持たずに出かけなさい…
サマリヤ人(←ユダヤ人と対立している)の所や国外へは行かないように…
どの町に入っても、ふさわしい家を見つけてそこを拠点としなさい…
もしあなたがたを受け入れない家や町があったら、“足のちりを払い落として”出て行きなさい…
☆行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。(マタイ 10:7)
これらの指示は、本当に力強く使徒たちを支えました。
まず「二人ずつ」。悪霊との闘いや病のいやし、宣教は、神でない彼らにとっては簡単な仕事ではありません。でも良きパートナーがいれば困難は乗り越えられるものです。
「手ぶらで行け」神の働きをする者は正当な報いを得る。彼らはそれを実体験することになりました。
「よそ者の所に行くな」初心者がいきなり難しいことをやってはダメ。同じ基盤を持つ同胞のために働くことから始めよ。
そして「受け入れない者から離れる時は足のちりを落とせ」“足のちりを払う”とは、“拒んだ責任はあなたにある”という意味です。異邦人とは違い、彼らの同胞ユダヤ人は「救い主が来られる」ことについて、彼らと同様に叩き込まれて生きてきた人々なのです。それでもなお拒絶すると言うのなら、宣教するあなたがたが責任を感じる必要は無い…
それでもこの仕事は厳しいものになる可能性が大いにありました。実際イエスは「あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものだ」=迫害に遭うだろう、とおっしゃっています。が、使徒たちは指示通りに出かけ、大きな働きをしました。イエスさまが「行け」とおっしゃるのです。神の国を宣べ伝えよ、と。必要なものは与えられる、語るべき言葉も、成し遂げる力もくださる。危険の見極め方も逃れ方も教えてくださいましたが、それよりも大事なことは「人を恐れるな」です。真に畏れるべき相手は、人間ではなく、からだどころか魂までも滅ぼすことのできる神である。しかもそのお方が、あなたがたの髪の毛の数まで知っていて、守っておられる…というのです。
どんな迫害に遭っても、福音は、廃れるどころか全世界にジワジワと広まって行きました。神さまに守られ、イエスさまに導かれて、使徒たちが宣教に出ていったからです。