(38) バプテスマのヨハネの斬首

ヘロデ大王の息子の一人ヘロデ・アンテパス王とその妻ヘロデヤによって牢屋に閉じ込められていたバプテスマのヨハネ。彼に最後の日がやってきました。

☆王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、…(マルコ 6:26)

その日ヘロデ王は、重臣や町の名士らを集めて、自分の誕生日の宴をしていました。その席でヘロデヤの娘[1]が踊りを踊ったところ、皆が喜んだのです。ヘロデは上機嫌になり、娘に誓って言いました。「ほうびに、ほしい物を何でもやろう」。娘は母親に相談しに行きました。すると母ヘロデヤはこう答えたのです。
「バプテスマのヨハネの首!」

ヘロデもヘロデヤも、幼い頃から凄惨な人生を送ってきた人です。ヘロデの父ヘロデ大王は、実の息子でさえ何人も殺した残虐な王。ヘロデ・アンテパスは何とか生き延びた幸運な一人[2]です。父の顔色をうかがいながら育ち、王となってはローマ皇帝の権力におびえ、王としてのプライドで疑心暗鬼を押し隠しているような人でした。妻ヘロデヤも、やはりヘロデ大王に親族をおおぜい殺されています。日本でいえば戦国時代のような世だったとは言え、平安な心や正しい生活など望むべくもありません。彼らの結婚も律法違反でした。ヘロデの兄の妻だったヘロデヤが夫を裏切り、ヘロデは妻を追い出して、二人は結婚したのです。

map-ヘロデの息子たちの支配地域
ヘロデの息子たちの支配地域。ヘロデヤはピリポの妻だった。

ヨハネはそんな二人に対し、面と向かってガンガン糾弾していました。ヘロデはそんな彼を実は恐れていました。捕えはしたものの、彼を呼んではその教えを熱心に聞いていました。何か聖なるものにすがりつきたかったのでしょうか。が、ヘロデヤは違いました。おのれヨハネ、この私を非難するとは! 殺してやる殺してやる、いつか必ず!!

その機会がついにやってきたわけです。ヨハネを生かしておくつもりだったヘロデは後悔しました。しかし彼は、“客の前で誓った”というメンツを捨てられませんでした。ヨハネは、獄中で首をはねられました。

☆しかし、神の国で一番小さい者でも、彼よりすぐれています。(ルカ 7:28)

ヨハネはかなり長い期間捕えられていました。その間に一度、弱気になったことがあったようです。面会を許されていた弟子たちに託し、イエスさまに質問を送りました。あなたを本当の救い主と思っていていいのでしょうか…?

彼がなぜ不安になったのかはわかりません。処刑されることを恐れていたのではないように思われます。それならヘロデに盾つくような無謀なまねはしなかったでしょう。そもそも「イエスが救い主である」と最初に宣言したのは彼なのです。やはり彼の中の「あるべき救い主の姿」と、実際のイエスの行動とが、合致しない…と悩んだのかもしれません。当時の民は皆、救い主とは「ローマ帝国の支配から救ってくれる人」だと思っていたからです。

獄中のヨハネ
ヨハネは この世では主イエスの復活を見られませんでした

イエスは、見たままをヨハネに話しなさいと返事なさいました。病人がいやされ、死人が生き返り、貧しい者に福音が宣べ伝えられている、と[3]。それから群衆に向かい、最上級の言葉でヨハネをほめました。
「この世でヨハネよりすぐれた者は一人もいない」
が、そのあとに不思議な言葉が…

しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

(口語訳聖書 ルカ 7:28)

一番小さい者とは、私たちのことです。そう、私たちは偉大なヨハネにでさえよくわからなかったことをもう知っているのです。この時の主イエスのお返事が、「今、聖書の救い主預言が成就しつつあるのだよ」という意味だと。

参考

[1] ヘロデ・アンテパスの実娘ではなく、ヘロデヤの連れ子。「サロメ」という名だと思われることが多いですが、聖書には名前は記されていません。古代イスラエルの歴史家フラウィウス・ヨセフスが書いた『ユダヤ古代誌』の中に、両親の名前が聖書の記述と一致する「サロメ」という女性が出てくるので、同一人物であろうと考えられています。
オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は、聖書から触発されて書いたものではあるでしょうが、ストーリーはワイルドの創作です。聖書によれば、ヨハネの殺害を望んだのは王妃ヘロデヤであり、娘は母の言葉に従ったに過ぎません。

[2] 確かにアンテパスや、ヘロデ・ピリポ、ヘロデ・アケラオらは「生き残れた息子たち」ではあります。が、父ヘロデ大王は要するに「自分に反逆しそうな、自分の地位を脅かすような息子たち」をすでに殺害してしまったわけです。生き残った息子たちとはつまり「政治的な能力はたいしたことない男たち」でした。

[3] ヨハネの弟子たちは、このあと言われたとおりに獄中のヨハネに伝えたはずですが、それに対してヨハネがどのように反応したのかは書かれていません。ただ、ヨハネが処刑されたあと、その遺体を引き取って葬った弟子たちが、一部始終をイエスに報告しに行っています(マタイ 14:12)。弟子から伝言を聞いたヨハネが、もしその内容に納得していなければ、弟子たちもその態度に呼応して、イエスへの不満を募らせたのではないでしょうか。結果そうでなかったということは、ヨハネはイエスからのメッセージを正しく理解したか、少なくとも満足して受けとめたものと推察されます。彼はそもそも知的階級(祭司の息子=正式な聖書教育を受けている)の人間ですし、何よりイエスさまが「人類のうちで最も優秀な人」とまで評価しているくらいですから。

ぬりえ

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