(36) タリタ、クミ

イエスさまはゲラサの地方を出ると、使徒たちとまた船に乗り、ご自分の町に戻られました。岸辺では、お帰りを待ちわびた群衆で押すな押すなの人だかりができました。

☆あなたの信仰があなたを直したのです。(マルコ 5:34)

群衆をかきわけるようにしてやってきた男が、イエスの足もとにひれ伏しました。彼は会堂管理者のヤイロ。会堂管理者とは、礼拝責任者のような仕事で、町の名士です。その人が必死になってイエスに願いました。娘が死にそうなのです! どうかおいでになって娘を助けてください!!…イエスはヤイロの家に向かわれました。

もちろん群衆もいっしょにワァワァとついてきます。その中に、十二年間も子宮からの出血が止まらない病気に悩まされている女がいました。財産を使い果たすほどさまざまな治療をしても、治るどころか、悪くなる一方でした。その女がイエスのうしろに何とか近づき、イエスのお着物のふさ[1]にさわったのです。ふさにさわるだけでもきっと治る…と考えたからでした。その瞬間、出血が止まり、痛みが去りました。イエスもすぐに、ご自分の力が外に出て行ったことに気づき、振り向いて群衆に言われました。「私の着物にさわったのは誰ですか?」

《 [Jesus, tallit, tzitzit](キリスト タリート ツィツィート)で画像検索》

女は恐れました。イエスさまに隠し通すなんてできない。しかしユダヤでは、女が出血のある間は「汚れている」と定められています。その汚れた女にふれた者も「汚れた」とされる。汚された方も夕方までは人に近づけない(レビ15:19)。つまり“汚された”イエスは、ヤイロの娘を救いに行くことはできなくなるのです。彼女は恐れおののいて、すべてのことを打ち明けました。するとイエスは、彼女にこう言われました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。すこやかでいなさい。」

☆「タリタ、クミ。」[2](マルコ 5:41)

が。そこで時間を費やしている間に、ヤイロの家から、恐れていた知らせが届いてしまいました。「…お嬢さんは亡くなりました…」
それを聞いて、娘の父ヤイロは、どれほど絶望的な気持ちになったでしょうか。ですがイエスはおっしゃいました。「恐れないで、信じなさい。そうすれば娘は直ります。」イエスがヤイロの家に入っていかれると、人々が大泣きしています。泣かなくてもよい、娘は眠っているだけだ…。イエスの言葉に、人々はあざ笑います。死んでるのにさ…

イエスは、使徒たちのうちペテロとヤコブとヨハネ、そして娘の両親だけを子供部屋に残し、あとはみな家から出してしまいました。そして、娘の手を取って言われました。

タリタ、クミ
טְלִיחָא קוּמִי

「タリタ、クミ」と言われた。
それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。

(口語訳聖書 マルコ 5:41)

たちまち娘は息を吹き返しました。すぐに起き上がって、歩き出しさえしました。両親や使徒たちは驚愕しました。

お祈りしたら病気がたちどころに治った!という実例は確かにあります。でもみんながみんな治るわけじゃない。イエスさまが病をいやされたり、死んだ人を生き返らせたりなさるのは、そのことを通して人々を神さまに立ち返らせるという目的がある時です。そしてこの長血の女もヤイロの娘も、やがて本当に死んだでしょう。でも、だからといってがっかりすることはありません。神さまの目には、死は「眠り」と同じなのです。イエスさまといっしょにいれば、死から目覚めた時にいただけるのは、永遠の命です。

参考

[1] 「タリート(tallit)」あるいは「タリス(tallis)」は、ユダヤ人男性が服の上から身につけていたものです(民数記15:38-40)。裾の四隅に青いふさ「ツィツィート(tzitzit)」が付いており、女はその背中側のふさにちょっとさわったのでしょう。
タリートやツィツィートの形状は、時代とともに変化してしまっているので、イエスさまがどのようなものを身につけられていたかは、想像や推測の域を出ないようです。
イエスさまの衣服について

[2] アラム語「טְלִיחָא קוּמִי」 新約聖書はギリシャ語で書かれているのに、なぜこの箇所だけはイエスさまが発語された通りのおことばで記されているのでしょうね。他にもいくつかそのような箇所があります。目撃証人にとって、それらはよほどインパクトのある言葉&場面だったということでしょうか。

ぬりえ

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