(35) 悪霊につかれたゲラサの男

暴風雨のガリラヤ湖を、イエスさまが一喝!…して静められたあと、また舟を漕いでたどりついた先は、ゲラサ人(マタイの福音書では「ガダラ人)の住む地方でした。

☆神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。(マタイ 8:29)

レギオン
悪霊どもがイエスさまに願ったことは…

イエスと使徒たちが上陸するとすぐ、「悪霊につかれた人」が墓場から飛び出して来て一行を迎えました[1]。その男は、夜昼なく暴れまわり、人々がムリヤリしばりつけておこうとしても、くさりはひきちぎるわ、足かせはぶちこわすわ… ほとんど裸のまま、大声でわめきながら、石で自分のからだを傷つけたりしていました。そのせいで男は、墓場つまり町の外に追いやられていたのです。

その男が、遠くからイエスを見つけると駆け寄って来ました。イエスは彼に向かって、「悪霊よ。この人から出て行け。」と命じました。すると男はひれ伏して言いました。神の子よ! どうか苦しめないでください、“底知れぬ所”に追い出さないでください!
イエスが名前をたずねると、男は、「レギオン[2]です。」
レギオンはイエスに、山腹で飼われていた豚の大群に乗り移らせてほしいと願いました。イエスがそれを許されると、悪霊どもに入られた豚の群れは、いきなりガケを駆け下り、湖に飛び込んで溺れ死んでしまいました。

☆あなたの家族のところに帰り、…知らせなさい。(マルコ 5:19)

この直後、驚くべきことが起こりました。豚を飼っていた者たちが逃げ出して知らせに来たので、町の人たちがかけつけて見ると、何とあの凶暴な男が正気に返り、服を着てイエスの足元にすわっているのです。豚のことも大事件ですが、あの暴れん坊が突然まともになるなど、とても考えられません。すっかりおびえた町の人たちは、イエスに「この町から出て行ってくれ」と言ってしまいました。

レギオン2
男はイエスさまのお供をしたいとしきりに願ったが…

立ち去ろうとするイエスに、レギオンから解放された男がすがりつきました。どうか私にもお供をさせてください!
しかしイエスは彼に、このようにお返事なさいました。

「あなたの家族のもとに帰って、
主がどんなに大きなことをしてくださったか、
またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」

(口語訳聖書 マルコ 5:19)

お言葉どおり男は帰って行き、家族や町の人だけでなく、デカポリス地方一帯に言い広めて歩きました。男の言葉を大勢の人々が聞き、“みな驚いた”と書かれています。

このように、まるで“何かに憑かれた”ような状態から、突然正気に返るといった症例は、古今東西あるようです。聖書に記されているということは、そこに悪霊が介在しているのでしょう。が、聖書の中で、イエスが悪霊を追い出せなかったことは、一度もありません。これは私たちにとって、大きな希望です。しかし、大事なことがあります。そんなこととても信じられない! 出て行って。…と言ってしまったら、イエスさまは行ってしまわれるということです。同じことを見聞きしても、そのあとイエスさまに従うか否かで、人生はまったく違っていきます。悪霊から解放してくださるイエスさまのお言葉に従っていきましょう。

参考

[1] この話は、マタイ・マルコ・ルカの3福音書に記されていますが、マタイだけは、“墓場から出て来たのは二人”と書いています。マタイが書いたのは、豚飼いたちに聞いてゲラサ人たちがやって来るところまでで、その後の二人がどうなったかは書いてありません。

[2] 「レギオン」は、五千人規模のローマの軍団の呼称です。悪霊は「自分たちは何千もいる、ものすごく大勢である」と答えたのです。イエスさまがこの時なぜ“豚に乗り移る”(豚は死んでしまう)ことをお許しになったのかはわかりませんが、もちろんそのことを用いて“宣教(=人々の救い)につなげられた”のは確かです。マタイの福音書では、「豚のナダレ落ち事件」を聞いて、「見よ、町中の者が」イエスに会いに出て来た(マタイ 8:34)と書かれています。そりゃみんなキモをつぶすでしょう。またレギオンを宿していた男は、解放されたのち、“デカポリスの地方で言い広め”た(マルコ 5:20)とあります。「デカポリス」とは「10の町」という意味で、実際にゲラサを含む10の都市で構成されています。彼はゲラサの地方を出て、かなり広範囲に証言して歩いたのだと思われます。

ぬりえ

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