(26) 山上の説教③「主の祈り」

イエスさまは、人のために良い行ない(施し)をすることについても、また神さまにお祈りすることについても、正しい考え方・やり方を教えてくださいました。

☆右の手のしていることを左の手に知られないように(マタイ 6:3)

山上の説教
「人に施しをする時 祈る時は このようにしなさい」

人々を教え導く立場にあった祭司や律法学者たちは、「皆から尊敬される」ことが大好きでした。人に施し(金や物をあげる)をする時は、必ず人が見ているところでしました。それを見た人たちはきっと「祭司の○○様は□□円もあげてらした!」などと言い合っていたのでしょうね。

また祭司たちは、祈る時も、会堂や通りの真ん中に立ち、大きな声で「ああ、神よ!」「おお、神よ〜!!」とやっていました。断食の時は、断食していることが人にハッキリわかるように、やつれた顔をしてうろうろするのでした。

ところがイエスは使徒たちにこう教えました。“彼らのまねをしてはいけません”。施しも祈りも、人に見られぬようにやりなさい。自分の右手がした施しを、自分の左手にも知られないように。祈る時は部屋に入って戸を閉め、隠れた所におられる神さまに祈りなさい。断食の時は、人にはわからぬように、身ぎれいにしていなさい…

密室の祈り
人に見せるための祈りは 人からの報いしか受けられません

当時の祭司たちだけでなく、人間は皆「ほめられたい」「賞賛されたい」と思っています。それは当然のことで、イエスは「ほめられたいと思うな」とおっしゃったわけではありません。人にほめられたくてしているのは、人にもわかってしまうものです。その瞬間だけは「えらい!」と言ってくれるかもしれませんが、それでおしまい。

その場だけの人からのおせじでなく、神さまからのごほうびの方がずっといいのです。誰も見ていなくても、神さまは必ず見ておられ、最も正当な報いをくださいます。その報いは、意外にも“人から”やってくることが多いですよ。あなたの施しや祈りを、まったく知らないはずの人から。

☆だから、こう祈りなさい。(マタイ 6:9)

そしてイエスは使徒たちに、正しいお祈りのしかたを教えてくださいました。それは「主の祈り」と呼ばれ、今も毎週教会の礼拝で祈られています。とても短いのですが、まさに完全なものです。[1]

こう祈りなさい
イエスさまが教えてくださったのは「主の祈り」

天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

(口語訳聖書 マタイ 6:9–13)

世界中が神さまをあがめるように。地にみこころがなりますように。きょう必要なものを与え、私たちの罪を赦し、悪魔からお守りください。…これで充分です、とイエスはおっしゃいました。くどくど言葉を並べ立てなくていい。私たち一人一人に今日必要なものは、神さまはもうご存じです。神さまはただ、私たちがこの主の祈りのような思いを持って語りかけて来るのを、いつでも待っておられるのです。

《皆で「主の祈り」をお祈りする》

参考

[1] 立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2011.1.16

ぬりえ

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