(27) 山上の説教④「神を第一に」

私たちの心には、心配なこと、不安なこと、恐いことがいつもありますね。それがなくなったら、毎日ほんとうにらくちんに生きられると思いませんか?

☆自分の宝は、天にたくわえなさい。(マタイ 6:20)

山上の説教
イエスは 人生の“優先順位”を教えてくださった

お金は生活するのに必要な大切なものですが、では何円持っていれば安心できるでしょう。1億円あればいいか?でも使っていったらなくなっちゃうね。では2億?3億? そして、なくなったらコワイから使わないでおこうか!? …って、それじゃ何のための金(^_^;

それに、たくさんお金やモノが手に入ると、近づいてくるんですね。悪い心を持った人が。親切そうなフリをして。で、盗んでいってしまうんですねえ。金があればあったで、その心配とも戦い続けなくてはなりませんね。

イエスはおっしゃいました。「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」 それはいつか、消えていってしまうものだから。“あなたの宝は、天にたくわえなさい”

宝は天にたくわえなさい
主に預ければ ムダに使われることは決してありません

「金を持つのは悪いことだ」という意味ではありません。また、天で、つまり神さまがお金を必要としているわけでもありません。あなたの宝、お金に限らず、あなたの心やあなたに与えられた能力は、“誰かを助けるために使いなさい” ということです。宝をまず神さまに預ける。するとそれをいつ、誰のために使えば良いかを、神さまは教えてくださいます。あなたは、ただそのおことばに聞き従えばいいのです。

☆神の国とその義とをまず第一に求めなさい。(マタイ 6:33)

しかし、私たちの不安は、お金やモノの心配がなくなるだけでは消えません。誰もが同じように心の底にかかえている恐れ、それは「明日自分がどうなるか、誰にもわからない」ということ。今日はあるお金が、食物が、健康が、仕事が、家族が、そして命が、明日も同じようにある!と保証してくれる人は、この世には一人もいません。

人間が解決しきれないこの心配を、イエスはよくご存じでした。イエスは、空を飛ぶ鳥たちを見上げ、足元に咲く花々[1]を指しておっしゃいました。神さまは、働きもしないこの鳥たちを養い、花々をこれほどまで美しく着飾らせてくださっている。ましてこの鳥や花よりもずっとすぐれたあなたがたに、よくしてくださらないことがあろうか…

空の鳥 野のゆり
神さまを第一にすれば 心配する必要はなくなります

だから、何を食べようか、何を飲もうか、
あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。…
あなたがたの天の父は、これらのものが、
ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。
そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。

(口語訳聖書 マタイ 6:31–34)

「神を第一にする」とは、“自分の思いでなく、神さまのみこころの方を優先する”ことです。自分の心は怒り狂っていても、聖書に「相手と仲直りしてから神の前に出よ」とあるなら、そのとおりにする。心の中の99%は“この金は出したくない!”と思っていても、「収入の十分の一は神さまにお返しなさい」とあるなら、そのとおりにする。100%でなくていい、信仰はからし種一粒分で充分です。ただその一粒を、必ず優先順位の一番にすること。それだけやれば、あとは神さまがすべて良くしてくださいます。

参考

[1] 日本では「野のユリ」という言葉が広まり、イースターにもいわゆる白百合が飾られますが、イスラエルの草原には無いようです。この時も、イエスと弟子たちの足元には、もっと色鮮やかな花々(多いのはポピーの仲間などだそうです)が咲き乱れていたものと思われます。
《[Israel, field of flowers](イスラエル 野の花)で画像検索》

ぬりえ

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