(19) 中風の人のいやし

イエスさまがカペナウムの家にもどられると、そこにも病気を治していただきたい人たちがおおぜいつめかけ、家はぎゅうぎゅう状態になってしまいました。

☆あなたの罪は赦されました(マルコ 2:5 ルカ 5:20)

イエスが住んでおられたのはシモン・ペテロの家[1]だったのではないかと考えられています。

その家には、病人たちだけでなく、イエスの人気をくやしがっているはずの律法学者やパリサイ派の人たちまでが、それこそイスラエル中から押し寄せてきていました。それらの人々の前で、イエスは病をいやし、福音を宣べ伝えておられました。

その真ん中でとんでもないことが起こりました。なんと家の屋根がはがされ始めたのです[2]。みんな、うわわわっとなってどいたのでしょうね。空いたすきまにそろそろと、寝床に寝かされたままの男がつり降ろされてきました。男は「中風(ちゅうぶ)」という病気で、寝たきりでした。でもまわりの人に愛されていたようです。家族か友人かが四人、彼をイエスのもとに運んできたのです。家は戸口までぎっしり人がいて入れない。でもなんとかイエスさまに見ていただきたい。ええい、屋根だ! 屋根からいくぞ!

中風の人のいやし(1)
つり降ろされてきた病人にイエスさまはおっしゃった

イエスは降ろされてきた病人にこうおっしゃいました。
「子よ(ルカの福音書では「友よ」)。しっかりしなさい。あなたの罪は赦されました」
イエスは“彼らの信仰を見て”言われた…とあります。病人ももちろん、赦しといやしを願っていたでしょうが、彼を運んで来た四人の信仰を見て、イエスさまはそれに応えてくださったのです。誰かのために一所懸命祈り、行動することは、とてもだいじなことです。その信仰を見て、誰かを赦し、いやしてくださることがあるからです。

☆起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。(マルコ 2:11 ルカ 5:24)

しかしここで、律法学者たちがピキッ(`-´#)となりました。彼らは、イエスの力には驚いていたけれども、彼が救い主だなどと認めたくはないのです。なぜなら彼らは、自分たちこそ神の国に迎え入れられると思っていたのに、イエスは「違う」とか言うから! なんだと、この律法の専門教育も受けてない若造がえらそうに! 今度は「罪が赦された」だと!? 何様のつもりだ!! 神おひとりのほかに誰が罪を赦せるというのか。この男は神を冒涜しているっっ!…

律法学者たちが心の中でぶつぶつとムカついているのを、ちゃんと見抜いて、イエスさまは言われました。

「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
あなたの罪はゆるされた、と言うのと、
起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、
あなたがたにわかるために」

(口語訳聖書 マタイ 9:4–6)

そして中風の人におっしゃいました。起きて、家に帰りなさい。…
彼はすぐに立ち上がると、自分で寝床をたたみ、神をあがめながら、皆の前をスタスタと出て行きました。

中風の人のいやし(2)
イエスは罪を赦すだけでなく 体の病気も治してくださった

あまりの光景に、律法学者だけでなく、その場にいた全員が、驚くというより恐ろしくなったほどでした。みな、これほどの権威をイエスにお与えになった神を口々にたたえました。

人は、体の病気が治っても、心の重荷が消えなければ、半分病気なのと同じです。大切なのは、まず心の奥の罪を赦していただくこと、罪から解放されることです。

参考

[1] カペナウムにイエスご自身の家があったという説もありますが、シモン・ペテロの家に滞在されていた可能性の方が大きいと考えられているようです。イエスが家に入られるといつも弟子たちがいること(マルコ 7:17,マルコ 10:10 他)、ペテロのしゅうとめがイエスと弟子たちをもてなす描写があること(マタイ 8:15,マルコ 1:31,ルカ 4:39)などが根拠です。
カペナウムの会堂(シナゴーグ)遺跡のすぐ近くで、イエスの時代のものとされる漁師の家が発掘されました。「聖ペテロの家」と呼ばれています。ひとつの中庭を共有して、複数の部屋(それぞれに1家族が居住する)が取り囲むような構造になっています。イエスの時代にはガリラヤ湖の水量が現在よりも多かったため、湖にほど近い場所に建っていたようです。

[2] 当時のガリラヤの家の屋根は、木の梁の上に、葦を泥で固めたものを何層か重ね、平らにならしてありました。そして中庭から石段で上がれるようになっていました。病人を運び上げてもすべり落ちることはなく、男が数名いればはぎ取ることもできたでしょう。

ぬりえ

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