(18) 病をいやす

イエスさまは、弟子たちとともにガリラヤ中をめぐり、神さまのことを人々に教えてゆかれました。そして同時におおぜいの人たちの病気を治されました。

☆わたしの心だ。きよくなれ。(マタイ 8:3)

福音書によれば、イエスさまはとにかくたいへん多くの病人/病気をいやされたようです。病人の数もそうですが、病気の種類もありとあらゆるものを治されています。熱が出たりするからだの中の病気、からだの一部の障害(目が見えないとか、歩けないとか)、ヒフの病気、脳の病気や心の病気、などなど。それも医者が治療するように、手術をしたり薬を飲ませたりしたわけではありません。手や頭にふれたりするだけでです。中には、さわりもせずお言葉だけでというパターンも。

その中から3つの例をお話ししましょう;

(1) 悪霊につかれた人
イエスが教えておられた会堂に悪霊につかれた人がいて大声でわめき出しました。あなたが誰だか知っています、神の聖者イエス!わたしたちを滅ぼしに来たのでしょう!それを聞いたイエスさまは悪霊をしかりました。「黙れ。その人から出て行け!」…悪霊はその人をひきつけさせると、大声を上げて出て行きました。意識を取り戻したその人は、もうまったくふつうの状態に戻っていました。人々は、悪霊さえも従わせてしまうイエスの力に驚きました。

悪霊よ 出て行け
イエスさまがしかりつけると 悪霊も出て行くのです

(2) ペテロのしゅうとめ
ペテロは結婚していました。しゅうとめとはおくさんのお母さんです。ある時イエスさまは、弟子をつれてペテロの家に入られました。ところが家の中では、しゅうとめが高い熱を出して寝込んでいたのです。イエスは彼女の枕もとに来られると、その手を取り、熱をしかりつけながら、彼女を起こしました。するとすぐに熱がひいてしまいました。やっと起き上がれるようになった..という感じではありません。しゅうとめはサッと立ち上がり、イエスさまたちをおもてなしする用意を始めたのですから。[1]

ペテロのしゅうとめのいやし
イエスさまが手を取ると しゅうとめの熱が下がりました

(3) 重い皮膚病
ヒフ病の中には、ひどく顔かたちが崩れてしまうものもあり、それがうつるのではないかとみな恐れていました。その病気にかかったら、町の外に出され、人に近づくことも許されず、まともな生活はできませんでした。その病の人が一人、人目をさけながらイエスの所に来ると、ひれ伏して言いました。主よ!お心一つで私はいやしていただけます…。イエスは、人に近寄られるどころか、石さえ投げられてきただろう彼にふれて[2]言われました。「わたしの心だ。きよくなれ。」…彼の病はすぐに消えてしまいました。

きよくなれ
重い皮膚病も イエスさまがふれると直ってしまいます

☆わたしは、そのために遣わされたのです(ルカ 4:43)

イエスさまはたしかに病をいやす力をお持ちです。でも私たちには知っておかなくてはならないことがあります。イエスがこの世に来られたのは、病気を治すことが第一の目的ではないということです。病気が治るのは幸せなことですが、私たちのこのからだは、いつかは必ず滅んでいくものです。しかし魂は、永遠のいのちをいただくことができる。この滅びのからだとともにある間でも。イエスさまは、この本当の福音をもたらすために来られたのです。

「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を
宣べ伝えねばならない。
自分はそのためにつかわされたのである」

(口語訳聖書 ルカ 4:43)

参考

[1] ペテロの家は同居親族も多く、おそらくは雇いの漁師も何人か抱えた網元だったと思われます。しゅうとめの熱病についても、イエスが彼の家に入られた時「人々は…知らせた」(マルコ 1:30)、「人々は…お願いした」(ルカ 4:38)とあります。雇い人たちが「おかみさんがご病気です!」とお知らせしたのでしょうか。しゅうとめは日頃から家族や雇い人たちの世話をし、また娘婿とその弟がイエスの弟子となってからは、弟子たちはもとより、詰めかける群衆にも手際良く対処していたのかもしれません。
ちなみに彼女の娘=ペテロの妻は、イエス復活ののち宣教に出て行った夫の旅に同行しているようです(Ⅰコリント 9:5)。どちらの女性も名前の記述がありませんが、彼女たちもまた、イエスと弟子たちの宣教活動をしっかりサポートしていたのです。

[2] 皮膚病の患者に“ふれる”“さわる”というのは律法違反でした。さわった方の人も“汚れ”て、宗教活動ができなくなる恐れがあったのです。

ぬりえ

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