イエスさまは、からだの病気を治すだけでなく、心の中の“罪”も赦す権威を持っていらっしゃるようだということが、イスラエルの国中に広まっていきました。
☆収税所にすわっているマタイという人をご覧になって(マタイ 9:9)
《[Capernaum](カペナウム)で画像検索》
イエスのいらした町カペナウムには、北のシリヤから南のエジプトに通じる街道がありました。その道を通るには、税金を納めなくてはなりませんでした。当時イスラエルを含むパレスチナ一帯を支配していたローマ帝国に納めるのです。が、街道沿いで税金を集めるのはローマ人でなく、ユダヤ人が雇われていました。
自分の国が外国に支配されているというだけでもくやしいのに、その国に納める税金を取り立てているのが、仲間! しかも取税人たちは、雇われたとは言え、決まった給料(固定給)というものがなかったので、決められた税金の額より多く取り立て、その分を自分のふところに入れて金を稼いでいました。この裏切り者! 金の亡者! 取税人は誰からも嫌われていました。
その取税人のひとりにマタイという名の男がいました。ある時マタイが収税所にすわっていると、イエスが通りかかっておっしゃいました。
「わたしについて来なさい。」
マタイはすぐに立ち上がると、そのお招きに応えてついて行きました。ただうしろから歩いて行ったということではなく、取税人の仕事をやめてイエスの弟子となったのです。これは大きな決断です。国中から嫌われている取税人あがりは、次に働き口を見つけようとしても、もう誰も雇っちゃくれないでしょう。
それでも彼には迷いがなかったようです。彼は心に重い罪の意識を抱えていて、イエスという方にお従いしたい…と決意していたのかもしれません。[1]
☆わたしは…、罪人を招くために来たのです(マルコ 2:17)
それからイエスは弟子たちをつれ、マタイの家でお食事をなさいました。あくどいもうけかたではありますが、取税人は金持ちです。広い家に、おおぜいの仲間がつめかけていました。仲間と言っても、まともな連中ではありません。つまりは取税人仲間です。あとは似たようなあくどい仕事をする、言わば裏社会の男や女たち。今の日本で言うなら… 暴力団? そんな者たちが、自分からイエスをご招待できたはずはないですから、イエスの方から「家に行く」とおっしゃったのでしょう。
それを見て、またもや律法学者たちがピキッ(`-´#)…
「なんでおたくの先生はあんな連中とつきあうのかねっ」
イエスご本人にではなく、弟子たちにつっかかりました。イエスを目のカタキにはしているけれども、イエスの力を信じている民衆の反発が恐かったのかも。腰が引けてる…
しかしそれを聞いて、イエスさまが答えられました。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、
罪人を招くためである」。(口語訳聖書 マルコ 2:17)
自分こそ神の前に正しいと思い込んでいる律法学者たちは、汚れた連中とつきあえば自分も汚れる!として、助けようなどとは絶対にしませんでした。でも、罪の中でもがき、平安な世界にたどりつきたいと願う者たちこそ、助けを必要としているのだと、イエスはおっしゃったのです。私たちも、罪の重荷をイエスさまにお預けしましょう。イエスさまは「一緒に食事しよう」と言ってくださいます。
参考
[1] ハーベスト・タイム・ミニストリーズ「イエスの生涯から学ぶ〜ルカの福音書4」