また少し時代をさかのぼります。ホセアはBC700年代、イザヤと同じ頃の預言者です。ただ、イザヤは南ユダ王国にいましたが、ホセアは北イスラエル王国の市民だったと考えられます。
☆どうしてあなたを見捨てることができようか(ホセア 11:8)
ユダヤ12部族のうち、南王国を形成しているのは2部族。北王国は10部族。人口も、北は南の2倍くらいいたようです。それなのに、北は南より百年以上も早くアッシリヤに滅ぼされています。なぜかと言えば、南王国も神を忘れて預言者たちからさんざん警告を受けていましたが、北王国はもっとひどいありさまだったからです。神への礼拝は完全に消え去り、異教の偶像礼拝に変わっていました。道徳的にも、とんでもなく悪い状態になっていました。そんな社会は、国としてやっていく力がないのです。
ホセアを通して語られた神さまの言葉からも、北王国がどんなにひどいようすかがわかります。これだけ言っているのに、なぜ私に立ち返らないのか。もうダメだ、ゆるすわけにはいかない。私はイスラエル(北王国)に罰を下す! …確かに罰は下りました。滅亡はこの直後です。ところが同じホセア書の中で、神さまはこのようにも言っておられるのです。
エフライムよ、
どうして、あなたを捨てることができようか。…
わたしの心は、わたしのうちに変り、
わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。(口語訳聖書 ホセア 11:8)
*エフライム=北イスラエル王国のこと。
エフライム族は北王国の指導的部族だった。
言うことをきかないなら滅んでしまえ!などと切り捨てることは、神さまにはとてもできません。厳しい罰を与えるのは、愛する者たちを安全で平和なみもとに引き戻すためなのです。
☆女が自分の乳飲み子を忘れようか(イザヤ 49:15)
自分が子供でいるうちは考えませんでしたが、“親”になって初めて、そんな神さまのお気持ちがわかるようになりました。子供に良いことと悪いことの区別を教えるには、やはり悪いことをした時に叱らなくてはなりません。2歳ころのおしりペンペンからはじまって、大きくなるまでいろいろなやり方で子供を叱りました。どのやり方であっても、それは本当に重い作業でした。愛しているのになんでこんなに叱れるんだろう…と落ち込んでしまうほどです。しかし実際には、愛しているからこそ、そこまで必死になるのです。だから、それほど大変な仕事なのに、子育てを途中であきらめるなど思いもよりません。子供たちが悪いものから離れて幸せになるのを見ることほど大きな喜びは、ほかにはないからです。
悪いことをすれば、必ず神の裁きがあります。たとえ人からの制裁を逃れられても、神さまはうやむやにはなさいません。でもその罰を与えている間も、神さまは胸を熱くしてあなたが戻るのを待っておられます。ホセア書の最後には“神に背いたことで傷ついた民を、私はいやす。私はもう怒っていない”という意味の御言葉があります。悔い改めて神の元に帰れば、どんなに悪いことをした人でも、きっとまた元どおりの愛の中に生きられます。この世の誰が見捨てたとしても、神さまがあなたをあきらめることは絶対にないのです。
ぬりえ
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