預言者エレミヤは、イザヤの約100年後に登場します。彼にとって預言者の仕事はつらいものだったようで、嘆き悲しむその姿から、「涙の預言者」と呼ばれています。
☆主は御手を伸ばして、私の口に触れ…(エレミヤ 1:9)
BC627年。エレミヤはまだ二十歳そこそこの若者でした。ある日突然、神の言葉が彼に臨みました。エレミヤよ、預言者として立て! …が、エレミヤは断ります。ムリです、 まだ若いし、どう語ればいいのかわかりませんっっ!
しかし神は、御手を伸ばして彼の口に触れ、おっしゃいました。今、私の言葉をあなたの口に授けた、と。そして彼に2つの幻を見せます。
1つはアーモンドの枝。 アーモンドは日本でいえば「桜」のようなものです。春の訪れを“見張っている”木[1]。
《[israel, almond tree](イスラエル アーモンド)で画像検索》
「そうだ。私は私の言葉を実現しようと見張っている」。
もう1つは、煮えたぎる釡。北からこちらに傾いている…
「災が北から起って、この地に住むすべての者の上に臨む」。
…わたしは、彼らがわたしを捨てて、すべての悪事を行ったゆえに、
わたしのさばきを彼らに告げる。
彼らは他の神々に香をたき、自分の手で作った物を拝したのである。(口語訳聖書 エレミヤ 1:14,16)
それらは、神の御力に頼ることを忘れ、宗教的には堕落し、政治的には姑息な算段ばかりで乗り切ろうとする民への、神の警告だったのです。北方の強大な国々が、わが国に攻めてくる。悔い改めなければ、われわれは滅ぼされる…! そんなことをハタチの若造が叫んだところで、王が耳を貸すでしょうか。エレミヤはまったく気が進まないながらも、神の御力に抗うこともできず、預言活動を始めました。
☆エレミヤは、ネリヤの子バルクを呼んだ。(エレミヤ 36:4)
案の定、エレミヤの言葉には、王も祭司たちも誰一人として耳を傾けることはありませんでした。その頃はちょうど北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリヤの勢力は弱まっていて、南ユダ王国では「大国エジプトにへーこらしてればやってけるさ(´▽`)」的な空気がただよっていたのです。
エレミヤは長い年月に渡り、さまざまな工夫をして民に警告を発し続けました。悔い改めよ! 神に立ち返れ! そうすれば神は、さばきを思いとどまってくださる!…
でも、何度やっても同じこと。“縁起でもない”ことばかり言うエレミヤの評判は、どん底まで落ちて行きます。憎まれ、あざけられ、捕えられ、死ぬほどの目に遭わされ。
彼は、平和な村の幸せな家庭で暮らしていた人だったようです。神の命令でシブシブ引き受けた仕事なのに、この仕打ち。孤立無援。穏やかな性格の彼には、この仕事は本当につらかったのでしょう。エレミヤ書のほぼ全編に渡って、彼は嘆き、泣いています。だがそれでも、自分は語らずにいられない… 神の御力が私に働いているのだ…
が。神さまは、エレミヤを守り続けてくださいました。危機が迫れば、必ず助けてくださいました。実はエレミヤには、忠実なパートナーがいました。バルクです。エレミヤ書は、エレミヤが神の指示を受けて預言の数々を口述し、それをバルクが書き留めたものなのです。二十数年分の言葉です。しかも一度書き上げた巻物はおろかな王様に燃やされてしまい、同じものをもうひとつ、イチから書き直しています(エレミヤ 36章)。
バルクは、危険に晒され続けるエレミヤと、生涯行動を共にしました。味方が一人いれば、人間は試練に立ち向かえるのです。神さまはそれをわかっておられます。
参考
[1] アーモンドの花は、桜(ソメイヨシノ)とそっくりです。咲くのも春で、同じ季節です。ヘブライ語でアーモンドを指す「シャーケード」は、「見張る」「寝ずの番をする」等を意味する「シャーカド שעון」から来ています。「春が来るのを見張っている木」といったところでしょうか。
民数記17章でアロンが持っていた杖はアーモンドの木です。
また、聖所に置かれた「純金の燭台」の模様はアーモンドの花です。「会見の天幕」
西南学院大学聖書植物園 〜植物一覧・検索「アーモンド」
四大預言書についての参考書籍;『今、ここに生きる預言書』高橋秀典師