「イスラエルは滅びる!」イザヤによって語られた神さまのことばが現実となる日はやってきました。北イスラエル王国はBC722、南ユダ王国はBC586に滅亡しました。
☆これを書きしるし、後の日のためとせよ。(イザヤ 30:8)
イザヤは長生きでした。若かった時代から80歳を過ぎるまで、50年以上も預言活動を続けたようです。その間、彼のメッセージは一貫しています。神に立ち返れ! どんな大帝国も、神の前にははかない。まことの神とともにあらねば、われらは滅びる!… が、しかし。
王も民も、彼のことばを聞こうとはしませんでした。当時の弱小国が生きのびようとしたら、①アッシリヤにつく、②エジプトにつく、③弱小国同士で手を組んでがんばる、のどれかしかないという感じだったのです。そのどれもせず、ただ神のお力を信じて踏みとどまっていれば良い!…そのとおりにする王様が、南王国には何人か現れました。また、ただひとつの神さまの神殿は、南王国の首都エルサレムにありました[*]。そのためか、南王国は北王国よりも130年余り長くもったわけです。
ここでわかると思いますが、南王国が滅んだのはイザヤが死んでからずっとあとのことです。そしてこの預言が現実になるのは自分の死後であると、彼は知っていました。だから彼は懸命に書き残しました。「書きしるせ、後の日のために!」と弟子たちに命じました。
神の時というのは、人間の時間とは比べようもありませんね。でもこれは、神の時が遠大であるというより、人間があまりに早く死ぬようになってしまったというべきなのかもしれません。まったくアダムとエバのおかげで…(-“-;) それでもなお、人間の心は永遠を想う(伝道者の書 3:11)。やがてふたたび永遠の命をいただいた時に、人間はやっと“つじつまが合う”のでしょう。
☆「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」(イザヤ 40:1)
南王国は、バビロン帝国に滅ぼされました。民は捕えられ、帝国の首都バビロンに連れ去られてしまいました。イザヤの言ったとおりになってしまったではないか。われわれが神に背いたせいだ… 民は悔やんだでしょう。が、神さまは、こうなることさえご存じだったのです。この時のために、イザヤに書きしるさせていらっしゃいました。
あなたがたの神は言われる、
「慰めよ、わが民を慰めよ、
ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、
その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、…」。(イザヤ 40:1–2)
罪深さのゆえに、あなたがたは傷ついた。しかしわたしがそれを癒そう… あなたがたを慰めよう、力を与えよう。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。わたしはあなたがたを必ず救い出す…
国を失い、捕囚となってはじめて、民はイザヤの書[2]を読むようになりました。イスラエルの民が、イザヤが記録しまくった神のおことばの数々をきちんと書物として編纂したのは、このバビロン捕囚時代だと考えられています。その書を読んで、民は異国の生活の中、どれほど慰められたことでしょうか。
言いつけを守らなかったから叱られたというのに、神さまはそんな悪い子を、何とかして成長させ、正しい人間にしようと、無限の愛を示してくださるのです。もしも叱られてしまったら、「ごめんなさい」と神さまにすがりつくのですよ。
参考
[1] イスラエルは南北両王国に分裂してしまったわけですが、北王国には神殿がありませんでした。まことの神の神殿はエルサレム神殿のみというのが神の掟であったからです。しかし、祭りのたびに国民にエルサレムまで上っていかれては、やがて彼らが南王国に取り込まれていってしまうかもしれません。危機感を抱いた北王国初代の王ヤロブアム一世は、金の子牛を造って北王国の中心地ベテルに据え、そこを礼拝所とするよう命じたのです。この行為はむろん、神の怒りを引き起こしました。
立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2013.7.14
[2] イザヤ書を読み解くのは、本当に大変ですね(-_-;) この書の意味が明らかになったのは、彼の預言が成就した時=つまりイエスさまが現れ、公生涯を全うされたあとよみがえられてのちだと言えます。イザヤが書いた時には、この書は誰が読んでも、まったく“意味不明”だったのです。ほとんど判じ物な上に、時系列もしっちゃかめっちゃか(^_^; だから、私たちもこの書を読む時は、新約聖書の福音書を読み、照らし合わせながら→イザヤ書…がいいと思います。
四大預言書についての参考書籍;『今、ここに生きる預言書』高橋秀典師
ぬりえ
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