(23) イザヤ書③「新しい天と新しい地」

イザヤ書は、最古で紀元前に書かれた巻物が発見されています。イエスさまや弟子たちが読んでいた「聖書」とはこういう巻物のイザヤ書などのことです。

☆まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。(イザヤ 65:17)

イザヤ書[1]の終盤には、バビロンに捕えられて行ったイスラエルの民が、祖国に戻り、聖なる地エルサレムを復興する様子が書かれています。実際彼らは捕囚の70年後、ペルシャ王(バビロンはペルシャに討たれた)に解放され、帰国を果たしました。バビロン軍に破壊された神殿も、少しずつ再建していきました。

しかしイザヤが書いたのが、その現実のエルサレムを超えた、全人類にとっての「行き着くべき場所」についてであるのは確かです。「その地」では、神に従う外国人もみな神の民として幸せに暮らす… ユダヤ人には考えられない話です。彼らは“神はユダヤ人のもの”と思っていました。食物も飲物もタダである… まさかそんな。あなたがたはもう決して破壊されることはない… いいえ。この時再建された神殿も、約600年後ふたたび破壊されました。

それはつまり、私たち日本人も入れていただくことのできる場所のことなのです。イザヤはそれを、「新しい天と新しい地」と記しました。そこには、泣き声も叫び声もない。死もない。人間が作ったものが何ひとつむだにはならない。オオカミと子羊が仲良く暮らせるような、何も恐れるもののない、神の祝福だけが満ちた世界だ…

そしてこれは、“天国”とか“あの世”とか、“この世の命を終えてから行くところ”のことではなく、この今の世の続きとして存在するもののようです。神さまが最初に創られたエデンに戻るのが、私たちの最終ゴールなのですね。

☆そむきの罪を悔い改める者のところに来る。(イザヤ 59:20)

巻物
会堂でイエスさまに手渡されたのはイザヤ書でした

ところが。ではこの書が「そしてみんな幸せに暮らします。めでたしめでたし」で終わるのかと言えば違います。それどころかイザヤ書最後の1行は、“こうして敵は地獄に落ちる…”的な一文。「神の敵」と審判された者は、決して新しい天と新しい地を見ることはできないのです。

が、神の敵側に行ってしまう危険性は人間誰にでもあります。この世では神の敵サタンが暗躍しているからです。人間はサタンに打ち勝つことはできません。だからイスラエルも何度も失敗しているわけで。なので神さまは「ガイド役」を送ると約束してくださいました。イザヤ書の中でこのガイド役=救い主は、しもべ=仕える者として描かれています。最も弱く貧しい者のために、召し使いのように身を捧げてくださるかた。

主なる神の霊がわたしに臨んだ。
これは主がわたしに油を注いで、
貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、
わたしをつかわして心のいためる者をいやし…

(イザヤ 61:1)

イザヤが預言してのち700年ほどして、ある人物がナザレの会堂に現れました。その人は、手渡されたイザヤ書[2]のこの箇所を読むと、人々に宣言されました。きょう、このみことばが実現した、と。それがイエスさまでした。

神さまは愛する私たちを、どうにか助けたいと願っておられます。サタンに負けて、何度失敗してもです。失敗してしまったら、心から悔い改め、イエスさまを見上げましょう。イエスさまは必ずあなたを導いてくださいます。

参考

[1] イザヤ書を読み解くのは、本当に大変ですね(-_-;) この書の意味が明らかになったのは、彼の預言が成就した時=つまりイエスさまが現れ、公生涯を全うされたあとよみがえられてのちだと言えます。イザヤが書いた時には、この書は誰が読んでも、まったく“意味不明”だったのです。ほとんど判じ物な上に、時系列もしっちゃかめっちゃか(^_^; だから、私たちもこの書を読む時は、新約聖書の福音書を読み、照らし合わせながら→イザヤ書…がいいと思います。

[2] イスラエル博物館のサイトで、死海写本のイザヤ書を読むことができます。残念ながら日本語にはなりませんが、英訳なら出てきます。
The Digital Dead Sea Scrolls

四大預言書についての参考書籍;『今、ここに生きる預言書』高橋秀典師

ぬりえ

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