過越の食事のあと、これらの教えを弟子たちに語り終えられると、イエスは天を仰ぎ、父なる神を見上げて、長いお祈りをなさいました。
☆父よ。時が来ました。(ヨハネ 17:1)
イエスの祈りはこのように始まりました。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。」…父なる神と、御子であるイエスの、栄光が現される「時」とは、もちろん十字架刑の時のことをおっしゃっているのです。
つまりイエスが十字架にかけられて殺されるのは、すでにずっと前からわかっていたこと、神さまのご計画でした。そのことを当然御子イエスもご存じでした。いや、むしろそのためにこそご自分がこの世に遣わされて来たと承知しておられました。十字架刑は、当時もっとも残酷で、人間の尊厳をどん底にまで叩き落とす、最悪の刑罰でしたが、それが失敗でも敗北でもなく、「子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため」のものだと言われるのです。私たち人間が、どんな失敗をしようとも、敗北の人生を送ろうとも、たとえ犯罪を犯そうとも、十字架上のイエスを見上げれば。その足元にすがりついて悔い改めの涙を流せば。御子イエスがその罪を赦し、神のみもとに連れて行ってくださると言うのです。そして神がそのためにお与えになった任務を「私は成し遂げた」と。
「父よ、みそばで、私を栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ご一緒にいて持っていたあの栄光で輝かせてください。」…十字架の時はやってきますが、そこで
終わりではない。子は父の元に帰り、以前そこにいらした時と同じように栄光に輝くという。私たちもこの方について行けば、同じように輝く永遠の命をいただけます。
☆彼らがみな一つとなるためです。(ヨハネ 17:21)
もちろんイエスは、任務をやり遂げたからと言って「ハイ完了完了!」と帰ってしまわれるわけではありません。やはり何よりも神さまにお願いしてくださるのは弟子たちのことです。父よ、弟子たちをお守りください。彼らは、私が与えたあなたのみことばを守りました。あなたの教えを理解し、私を神の子と信じました。だからこそ、世が私を憎んだように、世は彼らも憎むでしょう。私はもうすぐいなくなります。世に残される彼らを、どうか悪い者からお守りください…
それに続けて、イエスは本当にありがたいお祈りをしてくださいました。イエスが弟子たちを教えたのは、彼らを世に遣わすためです。“その彼らのことばを聞いて私を信じるようになる人々”=今の私たちのことまで、神さまに頼んでくださったのです。この人々が一つであるように。どれだけ時代を経たとしても、どれだけおおぜいになっていったとしても、神にあって一つであるように。あなたのいる所に私がいて、私のいる所に彼らもいるように…
最後のひとことは、まさに喜びと希望です。「私は彼らにあなたの御名を、“これからも知らせます”」。それは…
「あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、
またわたしも彼らのうちにおるためであります」(口語訳聖書 ヨハネ 17:26)