(70) 最後の教え②

主イエスがどういうお方なのかいまだにちんぷんかんぷんな弟子たちの方が、イエスさまよりも大きなわざをするようになるとは… いったいどういうことでしょう??

☆わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。(ヨハネ 15:5)

十一弟子
ユダが去り 弟子たちは11人になっている

イエスは、ユダヤ人である弟子たちにとって最も身近なもの、「ぶどうの木」にたとえて教えてくださいました。あなたがたには“実を結ぶ”という使命があるのだ…

《[Israel, grapevines](イスラエル ぶどう畑)で画像検索》

イエスがぶどうの木。弟子たちは枝。ぶどうが実を結ぶのは枝ですが、もし枝が幹から離れてしまったら、実を結ぶどころか、枯れてしまうだけです。だから、ずっと私につながっていなさい。私の教えを、いつまでも守りなさい。私がやってみせた愛の行ないを、お互いにし続けなさい。そうすればあなたがたは多くの実を結ぶ。世界の人々を、神の愛のうちに取り戻すのだ。

ただ、これから民の指導者となっていく立場の弟子たちには、やはり評価も厳しくなるのです。ぶどう園の農夫である父なる神は、実を結ばない枝は切り落とし、燃やしてしまうだろう…とイエスはおっしゃいます。イエスに選ばれ、任命され、一番近くでイエスと過ごして来た弟子たちの責任は重い。だからこそ、絶対に木から離れないようにすることが大事です。そうするだけで、あとはイエスが実を結ばせてくださるからです。

イエスはイスラエルから一歩も出ることなく、ただ十二人の弟子を鍛え上げましたが、その弟子たちが枝として伸び、世界に出て行き、より多くの実を結ぶことになるのです。

☆勇敢でありなさい。(ヨハネ 16:33)

ただそれは、喜びに満ち溢れた幸せな仕事…というわけにはいかないことも、ちゃんとイエスは言いおいて行かれました。私に従って来るということは、私が世の人々に憎まれたように、あなたがたも世の憎しみを受けるということだ… 覚悟しておきなさい。

世の権力者たちは、民衆をあおり立てて、イエスを殺害しようとしているのです。彼らはもちろんイエスの弟子たちも迫害します。その時にあなたがたがつまずかないように、話しておくから。今こんな話を聞けば、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになるだろう。だがやがて、あなたがたがこの話を思い出す時が来る。その時はまるで、女が子供を産む時のようだ。つらい痛み苦しみも、子供が生まれた喜びでふっとんでしまう!

弟子たちがその話をすべて理解できた…ということはありませんでした。が、主イエスが本当に“いなくなる”のだとしても、そのあとに絶望だけが残る…というのではなさそうだくらいには思ったようです。何だ、どういう意味だ!?と互いに論じ合いながらも、彼らはイエスに答えました。「あなたは一切をご存じです。あなたが神から来られたことを、私たちは信じます!」

そうだね… でももうすぐあなたがたは、私を見捨てて逃げ出すよ…。迫害を恐れたとは言え、その卑怯な行動が彼ら自身をどれほど傷つけるかも、イエスはご存じです。最後の教えの、最後のお言葉は、力強い励ましでした。

「あなたがたは、この世ではなやみがある。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている」

(口語訳聖書 ヨハネ 16:33)

参考

立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2017.1.15

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