(52) マルタとマリヤ

イエスと弟子たちは精力的に宣教の旅を続けています。途中、エルサレムに近いベタニヤという村に寄ると、必ずあるきょうだいの住む家でひと休みされていたようです。

☆どうしても必要なことはわずかです。(ルカ 10:42)

その家には、マルタとマリヤという姉妹、そしてラザロという弟とが暮らしていました。イエスご一行が立ち寄ると、お姉さんのマルタが、喜んでお迎えに出てきました。

イエスが12人の弟子全員を連れていたのかどうかはわかりませんが、それでもおおぜいのお客様がいらしたことには違いありません。訪れる前に「今から○人で行くよ」とメールを送れる時代ではなし(笑)、マルタは大あわてでおもてなしのしたくを始めました。部屋の準備、ごちそう作り、お客様の足を洗う水を用意し、灯りも増やさなきゃなりません(むろん、スイッチポンではなし)。てんてこまいで走り回っていました。

マルタとマリヤ
おもてなしの準備でくたくたになったマルタは…

ところが、ふと見ると、妹のマリヤはなんと、イエスの足もとにすわりこんで、じーっとお話に聞き入っているではありませんか! お姉さん、ブチ切れてしまいました。それも、マリヤを叱りつけるのでなく、イエスさまに…!
「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってくださいっっ!」

しかしイエスは、マリヤを叱ることはせず、マルタをおだやかにたしなめられました。

「マルタよ、マルタよ、
あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
しかし、無くてならぬものは多くはない。
いや、一つだけである。
マリヤはその良い方を選んだのだ。」

(口語訳聖書 ルカ 10:41–42)

☆さあ、わたしの言うことを聞きなさい。(ヨハネ 4:35)

中東では現代でも、長女に課せられる仕事はとても多いそうです[1]。母親の手伝いをし、弟妹の世話をまかせられ、親の介護も長女の役目。1世紀頃も似たようなものだったと思われます。マルタは自分が“しなくてはならないこと”を一所懸命やっていたのでしょうね。だから、自分の“やりたいこと”を優先している妹に腹が立ってしまったのでしょう。もちろん、イエスさまに対して、あなたのためにがんばっているのに!と言わんばかりの態度はほめられませんが、それでも、妹の尻を叩いて働かせる…のではなく、イエスに訴えたことは結果的に良かったと言えます。がんばってるんです… でもつらいんです! だってあの子はラクをしているのに、私は…!

なぜならイエスは、そんなマルタを叱らず、今の彼女に必要な、ただ一つのやり方を教えてくださったからです。疲れた時、憤った時、心が不安でいっぱいになった時は、まずその思いから手を離して、私の言葉を聞きなさい…

「ただ一つのことを いちばんにやるのです」

イエスは、愛そのもののお方です。この時も「マルタ、マルタ」と二度呼びかけておられます。これは、親愛をこめた相手への呼びかけ方です。不安や心配、怒り、憤りに心を占められると、せっかくのがんばりが報われないことになりやすいものです。そんな気持ちになったら、とにかく私のもとに来なさい、私の言うことを聞きなさい、それを何よりも一番にしなさい。そうイエスはおっしゃったのです。この優先順位をまちがえないようにしましょう。この順番を守っていれば、ムダな労苦はしなくてすみますよ。

参考

[1] 弟妹の世話や、親の介護のために、長女だけが結婚し損なう例もよくあるくらいだとか…(『カラー 新聖書ガイドブック』Pat & David Alexander編)。その役割を幸せに思えればいいですが、その立場を受け入れられないでいたら、つらいですね。聖書には、イエスさまが、女性や子供、病人、障害を持つ人々など、虐げられた人々を愛し、癒し、守る御姿が多々書かれています。中東の長女の皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいものです。家事を後回しにして、座りこんで素敵なお話を聞いてていいって言うんですからね。

ぬりえ

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