イエスさまの衣服や外見について知るのはなかなか難しいですね。特に日本語で聖書の時代考証について調べようとしても、情報量の少なさにぼーぜん(^_^;
聖書の記述によれば、イエスさまはまず素肌に「下着」をまとっておられたようです。下着といっても、他の箇所(マタイ 5:40, 10:10, ルカ 3:11 等)の言い回しから考えると、日本人の感覚で言えば、「肌着」ではなく「服」という感じです。そして、少なくとも十字架につけられた時に着ていらした下着は、“上から全部一つに織った、縫い目なしのもの”(ヨハネ 19:23)でした。大きな一枚布をからだに巻き付け、肩の上でピンで止め、ウェストに帯を締めていたと思われます。この布はおそらく亜麻布で、そうすると割り合い薄手だったでしょう。
寒い時期にはその上から「上着(着物)」をはおっていらしたはずです(ヨハネ 13:4)。こちらは獣毛製で、保温性の高いものだったと思います。その着物の裾の四隅に「ふさ」(前に2本&うしろに2本)が付いていました(民数記15:38–40)。十字架刑の時には、「兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。」(ヨハネ 19:23)とあります。これは難問です…。原語では「着物」は複数形になっていますが、もともと“四つ”あったわけではなく、ローマ兵たちはそれを“裂いた”模様です(そのあと下着について「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」とやりとりしている。つまり上着は“裂いた”? 裂かないと、磔にされた人体からは剥ぎ取れないし…)。前身頃2枚と後ろ身頃と袖…といった分け方をしたのかもしれません。当時の服地は“貴重な財産”という取り扱いをされていたようです(ルカ 10:30, 22:36 他)。
外見は、もっと難題です(-“-;) 30歳まで大工として働いていらしたのですから、ガタイのいい、力のある方だった可能性が高い。肌も浅黒かったかも。髪も短かったのではないかと考えられています(Ⅰコリント 11:14)。服装といい顔立ちといい、私たちがよくみるイエス・キリスト像と、かなり違っていますね。(服装に関しては、新約聖書が「ギリシャ語」で書かれているというのが影響しているという説もあります。つまりギリシャ風の服装に描かれてしまった…)。イエスさまがどんな姿かたちをされていたのか、写真とは言わずとも、似顔絵くらい残ってればな〜…とか考えてしまいますね(笑)
ただ、忘れてはならない、とても重要なことがあります。イエス像が残っていないというのは、イエスさまも使徒たちも神さまの戒めをきっちり守ったということなのです。
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。」(出エジプト 20:4)
この世の権力者は、よく自分の肖像画や彫像を作りたがります。崇拝の対象になりたいのでしょう。しかし神さまは、ご自分の姿も含めて、どんな像も刻んではならないとおっしゃいました。何を刻もうが、それはすでに神ではないからです。神の御子イエスさまでも同じこと。ご自分の像を残すことは、やろうと思えば簡単にできたでしょうが、一切なさいませんでした。教会の「十字架」でさえ、イエスさまが形作って使えとおっしゃったわけではなく、まあクリスチャンにとって、便宜上の“看板”のようなものです。
イエスさまがたったひとつ「わたしを覚えて、行いなさい」とおっしゃったのは、像を拝むこととは全然違いました。パンとぶどう酒を皆で分けていただくこと(ルカ 22:19–20)。日本で言うなら、ゴハンとお茶をいただくたびに思い出しなさいね…って感じ? イエスさまのお姿を見るのは、先々のお楽しみ♪…ということで、私たちには十分なのです。