祈っても聞かれない?

「お祈りしても聞かれない」と言う子供は結構います。こういう子には、ある習慣付けを手伝ってあげるといいと思います。

どの子にも、折々に“喜んでいる瞬間” “満足している時”はあるでしょう。「家族で遊園地に行った」「プレゼントをもらった」「教会学校で誕生会をしてくれた」等々。

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「ゆうえんちにいったの!」
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「プレゼントもらっちゃった♪」

そのタイミングが来たら、良かったね!で済ませず、そのうれしい気持ちを「覚えておこうね」と言うのです。

子供は、うれしかったこと 楽しかったことでも“忘れてしまう”ものです。素のままの状態では、ほとんど覚えていられません。毎日いろいろな願いが、祈っていようがいまいが(神は我々が祈ったことにだけ応えておられるわけではありません。ローマ 8:26–27)叶えられているのですが、それらが手に入り満足したら、端から忘れていってしまいます。そして、欲しくて欲しくてしようがないのに、なかなか得られないたったひとつのもののことだけいつまでも考えていて、それをくれない神さまはいじわるだ、自分は世界一不幸だ!と言う。

これは、クリスチャンにとって聖書的でないというだけでなく、どんな人にとっても、もったいないことです。手に入るものが同じなら、満足度が高い方がずっと幸せだからです。

うれしかったこと 幸せだったことは、記憶の引き出しにためていって、“このお祈り、神さま聞いてくださらないのかな…”と思うような時が来たら、その引き出しを開けて見てごらん、とアドバイスします。それは、あなたが手にして最も幸せになれる時に、神さまが叶えてくださった願いだから… と。それができるようになると、祈りはそれぞれ「神の時」(伝道者の書3章) に叶えられるのが一番いいということがわかってきます。それがわかってくると、いつまでも聞かれないように感じる祈りにも、神さまが応えてくださる日が来ることを信じて、待ち望めるようになります。幸福の記憶が未来を支えるのです。

ただ、この指導をするために、教師である私たちには自覚しておかなくてはならないことがあります。実は大人でも、神さまのお恵みをすぐに忘れてしまうということです(_ _;) その時にはものすごく感動したはずなのに…。人間の感情というのは、長くは保たないのですね。しかし! 先生が簡単に忘れていては証しになりません。神さまのお恵みを覚えておくスキルを、まず私たちが身につけましょう。そして子供たちにやって見せましょう。

きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
努めてこれをあなたの子らに教え、
あなたが家に座している時も、道を歩く時も、
寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、
あなたの目の間に置いて覚えとし、
またあなたの家の入口の柱と、
あなたの門とに書きしるさなければならない。
あなたの神、主は、
あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって、
あなたに与えると誓われた地に、あなたをはいらせられる時、
あなたが建てたものでない大きな美しい町々を得させ、
あなたが満たしたものでないもろもろの良い物を満たした家を得させ、
あなたが掘ったものでない掘り井戸を得させ、
あなたが植えたものでないぶどう畑と
オリブの畑とを得させられるであろう。
あなたは食べて飽きるであろう。
その時、あなたはみずから慎み、エジプトの地、
奴隷の家から導き出された主を忘れてはならない。

(口語訳聖書 申命記6:6–12)

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