(39) マラキ書

新しい神殿がやっと完成しました。ユダヤの民は、盛大にお祝いをし、神さまに感謝をささげました。

☆主の大いなる恐ろしい日が来る前に(マラキ 4:5)

ところが。神殿が建ったからと言って、罪の世がいきなり楽園になりはしません。飢饉でもあったのか、またもや文句タラタラの人々。預言者マラキはむろん神さまからお預かりしたメッセージで民を励ましましたが、民の反応は例のごとく「フン!」。ゼカリヤと同じように、マラキもわかっていました。救いようのないこの人々を、それでも救うことができるのは、もう人間側の努力じゃない。神さま側からのお恵みのみだと。

しかしマラキ書には、ゼカリヤ書と少しちがうところがあります。このおろかな人間たちを救うために、主が来てくださる。主の大いなる恐ろしい日がやってくる。そこまではいっしょです。

だが、神はその前に…

わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。

(口語訳聖書 マラキ 4:5)

☆神から遣わされたヨハネという人が現れた(ヨハネ 1:6)

この“預言者エリヤ”とは、バプテスマのヨハネを指しています。彼はイエスの誕生より半年ほど早く生まれました。彼の母と、イエスを産んだマリヤとは親類関係にありましたが、もちろんヨハネはイエスさまとはちがい、両親から生まれた人間です。

荒野のヨハネ
荒野のヨハネ 立ち上がるべき日はもうすぐやってくる

彼は大人になると、荒野に住み、いなごと野蜜を食べて暮らしました。やがて彼に、神の言葉がくだりました。それにしたがい、彼はヨルダン川沿いの地方一帯に行って、宣べ伝えたのです。「悔い改めよ! 救い主が来られる!」。彼にバプテスマを授けてもらうため、ユダヤ全土から人々が大集合してきたとあります。新約聖書にある4福音書のどれもが、イエスの活動の前に、ヨハネのことを記しています。人類の救いにとって、それほど大きな働きをした人でした。

実は、イエスさまがこの世で宣教されたのは、ほんの3年ほどです。しかもその間、せまいユダヤの国から一歩も外へ出ていらっしゃいません。その教えが、なぜ今では世界中、何十億の人に知れ渡っているのか。最初は、イエスの復活を目撃した使徒たちが持ち出したのです。国外へ。海を渡って。次にはそれを聞いた人が、そのまた次の人に伝えて。二千年でここまで来ました。

人間のおろかさは、誘惑に負けたアダムの時から、たしかにちっとも変わっちゃいません。でも、神の言葉を受け取り、それを伝え広めていく働きも、やはり私たち人間が担ってきたのです。人間を、神の命令どおり動くモノにすることも可能。ダメ人類なら、さっさと地球を爆発させて滅ぼしたっていい。だけどそうはなさらない。

こんなおろかな私たち人間に、何ということか、神さまは! イエスさまは!!
とっても “期待” しておられるのです。

ぬりえ

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