(38) ゼカリヤ書

ゼカリヤは、ハガイと同じ時期に活動していた預言者です。彼もまた、破壊されてしまった神殿の建て直しに取り組むよう、民を励ましています。

☆あなたの王があなたのところに来られる(ゼカリヤ 9:9)

ハガイとちがうのは、ゼカリヤには神さまが、“幻”を見せるという形でみこころを伝えているところです。ゼカリヤはそういう幻をいくつも見せられますが、その中のひとつは「金の燭台(ろうそく立て)と、そのそばに立つオリーブの木」。彼が御使いに「これは…?」と問うと、それは“ゼルバベル総督が神殿を完成させる”という意味だと教えられるのです。

ハガイやゼカリヤに励まされ、イスラエルは神殿を建て直しました。民はついに神に立ち返ったのでしょうか? いいえ。ゼカリヤは知らされていたようです。これまで長い長い間、神に逆らい→苦難に陥り→神さまに嘆いては→神のあわれみによって赦される… →そしてまた神を忘れる! をくり返して来た人々。そのおろかさは、人間の努力だけではどうにもできないものであることを。

預言書の中で、ゼカリヤ書にはひとつの大きな特徴があります。キリスト来臨への熱い希望です。

見よ、あなたの王はあなたの所に来る。
彼は義なるものであって勝利を得、
柔和であって、ろばに乗る。

(口語訳聖書 ゼカリヤ 9:9)

=キリストのエルサレム入城

このおろかな我々を救うために、王が、平和の君が、来てくださる。民よ、喜べ、踊れ! 救い主の支配は、海から海へ、地の果てにまでも及ぶだろう…!

ろばの子に乗って
イエスはろばに乗られた ろばは「平和」の象徴

☆わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る(ヨハネ 14:28)

この預言のあと、実際にキリストが来られるまで、500年ほどの年月がかかりました。そして500年後、ゼカリヤ書のメシヤ預言は、ことごとく現実のものとなっています。

 彼は主の神殿を建て、彼は尊厳を帯び、
 その王座に着いて支配する。(ゼカリヤ 6:13)
  =王としてのキリスト

 その日、彼らの神、主は、彼らを
 主の民の群れとして救われる。(ゼカリヤ 9:16)
  =羊飼いとしてのキリスト

 彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、
 ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、
 初子を失って激しく泣くように、
 その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ 12:10)
  =十字架上の処刑

 牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き…(ゼカリヤ 13:7)
  =キリストと使徒の苦難

しかし、あとひとつ、最後のひとつだけは、2500年後の今日でも、まだ実現していません。

 見よ。主の日が来る。…
 その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。
 これはただ一つの日であって、これは主に知られている。
 昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。(ゼカリヤ 14:1,6–7)
  =最後の審判 キリストの再臨。

ぬりえ

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