悪魔をしりぞけられたイエスさまは、バプテスマのヨハネが宣教活動をしているヨルダン川のほとりに、ふたたび降りてこられました。
☆「私たちはメシヤに会った」(ヨハネ1:41)
ヨハネのいる場所の近くを、イエスさまが通りかかられました。その時ヨハネのそばには、彼の弟子が二人立っていました。イエスさまが歩いて行かれるのを見て、ヨハネは弟子たちに言いました。「見なさい。神の小羊だ。」
それを聞くと弟子たちは、すぐにイエスさまを追いかけ、あとをついて行ったのです。でも、自分たちからはなかなか呼びかけられません。するとイエスさまの方から振り向き、彼らに声をかけてくださいました。そしてその夜は、ご自分がお泊まりの所に招いて、一晩お話をしてくださいました。この日二人はヨハネを離れ、イエスの弟子になりました。
二人のうちの一人は、ガリラヤ湖岸に住む漁師アンデレでした。あくる日彼は、まず兄のシモンを見つけると、「メシヤ(救い主)に会った!」と言い、イエスさまのもとに連れて行きます。
シモンはイエスさまに「ケパ(ペテロ)=岩[1]」と名付けられ、弟とともに弟子となりました。
そのまた翌日、イエスさまが弟子たちとガリラヤに向かう途中、今度はピリポを弟子とされました。ピリポは友人のナタナエルを呼んできました。「来てみろ、メシヤだ!」。ナタナエルは(んなワケない…)と思いながらやって来たのですが、イエスさまが自分のことを言い当てられるのを聞いて、すぐさま自分も弟子となりました。
こうして最初の弟子たちが召し出され、イエスさまのお働きは、少しずつ始まっていったのでした。
☆子羊を… 罪のためのいけにえとしてほふりなさい(レビ4:32–33)
さて、ヨハネは、イエスさまのことをこのように表現していました。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
(口語訳聖書 ヨハネ1:29)
「神の小羊」。これは“神にささげるいけにえ”という意味です。神さまは“聖なる方”です。罪から逃れられない人間には、とても近づくことのできないお方です。しかし、罪を犯すたびに滅ぼされるなら、人間は一人もいなくなってしまいます。だから神さまは、身代わりのいけにえをささげることでその人の罪を赦すというおきてを、イスラエルに与えてくださっていました。
《[Israel, Sheep](イスラエル 羊)で画像検索》
イスラエル人にとって最上のものといえば、生活の糧である牛や羊です。農作業に使い、乳や毛を取り、お祝いや来客の時は、ほふってもてなしのごちそうとする貴重な家畜。それを「私の代わりです」と宣言してから神にささげれば、その人は赦されたとする。そしてこのいけにえの儀式を、罪を犯すごとに繰り返してきました。
その、神さまに罪を赦していただくための「身代わりのいけにえ」として、イエスさまはこの世に来てくださったのです。イスラエルだけでなく、すべての人々のために。イエスさまを「私の代わり」と宣言するならば、その人はもう罪が取り除かれました。いけにえやささげものをする必要も二度とありません。神の小羊イエスさまは、たった1回ご自分の命をささげられることで、全人類を救う力を持っていらっしゃるからです。
参考
[1] 「ケパ」=アラム語 「ペテロ」=ギリシャ語 いずれも「岩」の意。