(60) みなに仕える者になりなさい

イエスと弟子たちはエルサレムに向かいます。まもなく過越の祭りがあるのです。それは主イエスが十字架に近づいていることを意味していましたが…

☆あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。(マルコ 10:38)

イエスは一行の先頭に立ってずんずんと歩いて行かれます。いつもと違う、ただならぬ雰囲気があったのか、弟子たちは驚き、恐れを抱いたようです[1]。イエスはそんな彼らをそばに呼び、それこそ恐ろしいことを告げられました。
「私はエルサレムで、祭司長や律法学者たちに逮捕されます。彼らは私を死刑に定め、異邦人に引き渡します。異邦人らは、私をあざけり、むち打ち、ついには殺してしまいます。しかし、私は三日目によみがえります。」……

弟子たちは、何が何だかわけわからん状態になりました。ユダヤ人にとって神の国とは「ローマ帝国からの独立国家=イスラエル王国」のことだったからです。イエスがローマ帝国に対して革命を起こし、独立国の王となる…というイメージしか持っていませんでした。イエスが、まもなく起こることをお告げになったのは、これで三度目。しかもここまで具体的に。それでも弟子たちは、これほどの御力のある神の子が、そんな、まさか、殺されるだなんて…とでも思っていたのでしょうか。

ヤコブとヨハネの頼み事
弟子たちでさえも「神の国」とは何なのかわからずにいた

弟子の中でもリーダー的存在だったヤコブとヨハネ兄弟は、イエスにこんなことを頼みに来たくらいです。「あなたの栄光の座で、一人を先生の右に、一人を左に座らせてください!」。つまり、独立国家を樹立したら、自分たちを右大臣&左大臣にしてくれ、と…[2]。イエスは答えられました。「あなたがたは、自分が何を求めているのかわかっていません。それに、御国で私の右と左に座る者を決めるのは私ではなく、神なのです。」

☆人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるため(マルコ 10:45)

ほかの十人の弟子たちは、この兄弟の抜け駆けを知ってブチ切れました。自分たちも同じように、イエスさまが王になったら、大臣になるぞ〜!と考えていたわけですね。そんな彼らをそばに呼び寄せ、イエスはおっしゃいます。支配者というのは、人々の上に権力をふるいたがるもの。しかし、あなたがたはそうであってはいけません…

あなたがたの間では、そうであってはならない。
かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、
仕える人となり、
あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、
すべての人の僕とならねばならない。

(口語訳聖書 マルコ 10:43–44)

弟子たちがその意味を理解できなかったのも無理はないかもしれません。ですが、このあとまもなくして、彼らが主イエスのお言葉をことごとく思い出し、正しく理解する日がやってきます。その時彼らは、「人の上に立つ指導者」にはなりました。が、権力で従わせるのではなく、人に仕える道、人のために命を捧げる方の道を選び取っていきます。

彼らの働きのおかげで、私たちはすでに主がおっしゃったことの意味を知っています。人々の上に立つべき時が来たなら、力で支配するのではなく、仕える者になりましょう。

参考

[1] 弟子たちが「神の国」を「ローマ帝国からの独立国家」のこととカン違いしていたとしても、「革命」が流血無しに平和裏に行なわれる…などとは思っていないでしょう。師の苦悩と決意に満ちたご様子を、ローマ帝国との軍事的な臨戦態勢に入ったのかとでも感じて、緊張したのでしょうか。
立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2012.5.27

[2] この箇所の並行記事であるマタイ20:20–28では、ヤコブとヨハネとともに彼らの母親も来て、同じ内容をイエスに願っています。母親の過干渉については脇に置いておくとして、兄弟の中には競争心や出世欲だけでなく、「親孝行」という意識もあったのかもしれません。
いずれにしても、イエスがここまで具体的に「自分は逮捕され、処刑される」と伝えているにも関わらず、それが正確に認識できず、「独立革命、絶対成功する!」と弟子たちが思い込んでいたということは、イエス(&自分たち)の支持者拡大の様相がよほど凄かったのでしょうね。

ぬりえ

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