(5) 少年イエス

赤ちゃん時代をのぞくと、聖書にはイエスさまの子供の頃のエピソードはひとつしか書かれていません。しかしそれは、イエスさまが幼い時から、ご自分が神の御子であることを自覚していらしたとわかる重要なものです。

☆みな、イエスの知恵と答えに驚いていた(ルカ 2:47)

ヨセフとマリヤは、イスラエルの大きな祭り「過越の祭り」に行くため、毎年エルサレムに旅をしていました。

《[Passover](過越の祭り)で画像検索 現代にも続く祭りの様子を見せる》

イエスが12歳になられた年にもまた、おおぜいの親族や知人たちとともに都へのぼっていきました。[1]

一週間の祭りが終わり、ナザレへの帰り道。二人は恐ろしいことに気づきました。一行の中にまじっていると思っていたイエスがいないのです。おおあわてで捜し始める両親。一日分の道のりを進んでしまってから引き返して三日めに発見とありますから、少なくともまる二日は行方不明だったわけです。やっとエルサレムの宮にいる息子を見つけた時、マリヤは“思わず”という感じでイエスを叱りつけています。なぜこんなことを! お父さまもわたしも本当に心配したんですよっっ!!

十二歳のイエス
やっと見つけたイエスは宮で教師たちと話していました

ところが。
イエスは落ち着いたようすで返事をなさいました。
「どうしてお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」

もちろん迷子ではなく、イエスはずっと宮におられたのでした。教師たちの真ん中にすわり、話を聞いたり質問したりしていらしたのです。聞いていた人々はみな、少年イエスの知恵と答えにたいへん驚いていました。両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった…と書かれていますが、母マリヤはこの時も「これらのことをみな、心に留めて」いました。

☆イエスは …神と人とに愛された(ルカ 2:52)

この“事件”のあと、イエスはヨセフとマリヤに連れられ、無事ナザレに帰って行かれました。

[現在のナザレ] 現在では人口60000人くらいの都市ですが、イエスの時代は200人程度だったのではないかと推測されているようです。》

そして、両親に仕えてお暮らしになりました。

神と人とに愛されながら成長する少年イエス

その後、救い主キリストとしてのお働きを始められる30歳までのことは、どの福音書にもまったく書かれていないのです。ただ、ルカの福音書には、1章のうち2カ所に同じような意味のことが記されています。

幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、
そして神の恵みがその上にあった。

(口語訳聖書 ルカ 2:40)

イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、
そして神と人から愛された。

(口語訳聖書 ルカ 2:52)

母マリヤはイエスの復活のあとまで生存していますが、父ヨセフはこの章が最後の登場です。彼はイエスが公生涯に入られる前に亡くなったと考えられています。しかしイエスが、この父により、大工として自立できるまでに育て上げられたことは確かです。またイエスの弟たちも、兄のこの世での活動中は、やはりその意味を理解できずにいましたが、復活の後には、母や弟子たちとともに、主とあがめるようになっています。兄弟としていっしょに育つ間に、深い心の交流もあったのかもしれません。

救い主としてのイエスさまの日々は、孤独で苦難に満ちたものでしたが、幼少期は、家族や郷里の人々の中で、貧しいながらも愛にあふれた生活をおくっていらしたのです。神の愛を宣べ伝えた方は、充分に神の愛を受けながら成長されたのです。

参考

[1] 当時のイスラエルで旅をする場合は、できる限り大人数で行動しました。盗賊や野生動物の襲撃から身を守るためです。イエスの両親が息子の行方不明にしばらく気がつかなかったのも、同行の人数が多く、イエスが他の子供たちと遊んでいるものと思い込んでいたためかもしれません。

ぬりえ

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