イエスさまに従う人々は、どんどん増えていきました。そのウワサはユダヤの指導者たちの耳にも入ります。彼らにとってイエスは、“要注意人物”になってきました。
☆あなたと話しているこのわたしがそれです(ヨハネ 4:26)
けれどイエスさまはこの時、指導者たちと討論する道はお選びになりませんでした。弟子たちをつれ、ユダヤ地方から、遠いガリラヤに戻ることになさいました。ガリラヤへのルートは2つあります。ヨルダンの谷を通るか、サマリヤを通るか。
サマリヤを行く方が近い。でもユダヤ人は誰も、サマリヤには足をふみ入れません。サマリヤ人のことが大キライだったのです。異教の外国人と混血した汚れた者たち!とさげすんで、口もききませんでした。
ところがイエスさまはなぜかサマリヤを通られました。そしてその途中、お疲れになったので、スカルという町にある「ヤコブの井戸」のそばでひと休みされました。
《[Sychar, Shechem](スカル シェケム)で画像検索》
そこに一人のサマリヤの女が水くみにやってきたのです。するとイエスは、その女に話しかけました。「水を飲ませてください」。女は驚きます。ユダヤ人が、しかも水をくれと頼んでくるなんて…!サマリヤの水を飲んだら汚れるとか言ってるくせに。
「どうしてサマリヤ人の私に頼むんですか」と女。感じわる…(^_^;
感じ悪いのにはわけがありました。まともな生活をしていない女だったのです。しかしイエスは、初めて会った彼女の、これまでの乱れた生活[1]のすべてを言い当ててしまいます。女はイエスを、預言者だと考え始めました。イエスは彼女に教えます。私はあなたに生ける水を与えることができる。それは、永遠の命に至る水。この井戸の水のように、飲んでもまた渇くものとはちがう。私を信じなさい。ユダヤもサマリヤもなく、霊とまことによって神を礼拝する時が来たのです…。女は答えます。「メシヤが来られたら、礼拝のことでも何でも教えてくださると聞いています。」
そう言う彼女にイエスさまはおっしゃいました。
「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
☆その町のサマリヤ人のうち多くの者が、…イエスを信じた(ヨハネ 4:39)
女は、町の人々と顔を合わせたくない毎日だったのかもしれません。このできごとが起きたのは、ふつうの女たちが水くみに来るような時間帯ではなかったからです。でも彼女はもう黙っていられませんでした。水くみどころか水がめをほっぽって町にかけもどると、おおぜいの人たちを井戸までつれてきました。「来て! 見て! あの方こそキリスト、メシヤじゃないかしら!!」
さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、
「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」と
あかしした女の言葉によって、イエスを信じた。
そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、
自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、
イエスはそこにふつか滞在された。
そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。(口語訳聖書 ヨハネ 4:39–41)
イエスさまがわざわざサマリヤを通られたのは、たぶんこのことのためだったのでしょう。イエスさまは、世界のどこで、誰が、救い主を待ち望んでいるのかをよくご存じです。たとえ自分を敵だと思っている人々のところへでも、近づいて来てくださいます。その時にはきっと、おことばを信じ、心のドアを開いてお迎えしましょう。そして何日でもお泊まりいただいて、お話を聞きましょう。
参考
[1] イエスはこの女性に「あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではない」(ヨハネ4:18)と指摘し、彼女は「あなたは預言者だと思う…」と答えています。つまりそれは事実だと認めているのです。
彼女がなぜ5回もの結婚を繰り返してきたのかはわかりません。中には死別もあったかもしれませんが、離婚だとすると、当時のユダヤやサマリヤでは、女性の方から離婚を申し立てることは不可能だったようなので、夫側から追い出されたことになります。そして現在は同棲中。正規の結婚はしてもらえていないわけです。
結婚生活が、6回やってもうまく維持できないというのは、やはり本人に何か問題があったのでしょう。ですがイエスさまは、そんな、人からは受け入れてもらえないような者のところにでも、わざわざ近づいて、助けに来てくださるのですね。助けるだけでなく、彼女を大きく用いてさえくださったのです。
彼女がこのあと、町の人々にも受け入れられるようになっていった可能性は高いと思います。