(40) 湖上を歩くイエス

パンと魚で満腹になり、「この方こそ救い主だ!約束の預言者だ!」と騒ぐ大群衆。しかしイエスは、そんな人々を解散させ、帰してしまわれました。

☆わたしだ。恐れることはない。(マタイ 14:27)

そう、イエスさまは確かに救い主でした。が、熱狂する人々はまったく間違っていました。彼らは、その頃イスラエルを支配していたローマ帝国の圧制から解放してくれる人、新生イスラエル国の王となる人を求めていたのです。イエスはそんな者になるためにこの世に来られたわけではありません。でもこの時はまだ、群衆はおろか、使徒たちでさえ、そのことがわかっていませんでした。イスラエルが独立し、イエスさまが王になり、自分たちは大臣になるんだくらいに考えていたのです。

イエスはまず、そんな使徒たちを先に群衆から引き離しました。ご自分は残り、使徒たちだけ舟に乗せて、ガリラヤ湖の向こう岸、ベツサイダに帰るようにと命じました。すでに夕方です。あっという間に夜になり、山上から湖面に強風が吹き下ろし始めました [1]。使徒たちの舟は、向かい風に遭い、4〜5キロ漕ぎ出したあたりで立ち往生してしまいました。湖のちょうど真ん中辺です。ガリラヤの漁師たちが何人もいるというのに、舟はちっとも進みません。

そのまま夜中の3時になった頃。恐ろしいことが起こりました。風に翻弄される舟に向かって、イエスが歩いて近づいて来られたのです。真夜中です。しかも湖のど真ん中。まるで陸上にいるかのように水面を歩く姿…。使徒たちは、わーっ、ぎゃーーっ、ゆうれいだ、オバケだあぁっ、と大パニック。が、イエスはおっしゃいました。

「しっかりするのだ、わたしである。
恐れることはない」

(口語訳聖書 マタイ 14:27)

そりゃ普通はぎゃおぎゃお叫びますよね。夜中に誰かが水の上を歩いて来たら(^_^; でもそれがイエスさまだとわかった時、使徒たちは「もう大丈夫だ!」と喜んだのでした。

☆なぜ疑うのか。(マタイ 14:31)

湖上を歩くイエス
イエスさまから目を離したとたん ペテロは沈みかけた

しかしその時、ペテロがすごいことを言い出しました。「主よ。私にも水の上を歩いて来いと命じてください。」あまりにも不思議な光景の中に、自分も飛び込んでみたくなったのでしょうか。

イエスのお返事は「来なさい」。ペテロが舟から出ると、なんと彼も水の上を歩いて、イエスに向かって行きます! ところが。ペテロは、自分のまわりを吹きすさぶ風に気がついてしまいました。舟を押し戻すほどの強風です。彼は突然こわくなりました。するといきなりゴボゴボと沈みかけてしまったのです。イエスさまっ、助けてくださいっ! イエスはすぐに手を伸ばすと、叫ぶペテロをガシッとつかみました。「信仰の薄い人だな。なぜ私を疑ったのか。」イエスに連れられて、ペテロはまた水の上を歩き、舟に戻ることができました。二人が舟に乗り込むと、風がやみました。舟の中で使徒たちは、イエスを拝んで言いました。「確かにあなたは神の子です」

イエスを見つめている間は、ペテロ、つまり人間にも、驚異的な力が宿りました。ところが、風、つまり恐ろしいものの方を見たとたんに、彼はおぼれてしまったのです。私たちは、人生の中で、恐ろしいものに何度も出くわします。そんな時は、恐ろしいものの方を見てはなりません。イエスさまを見つめて、歩いていくのですよ。

参考

[1] 嵐になったわけではありません。ガリラヤ湖は、昼間は湖から陸に向かって風が吹きますが、夜は湖水の温度が下がるため、今度は逆に、山から湖に吹き下ろして来るのです。真夜中とは言え、天気は良かったものと思われます。満月だったか、満天の星だったかで、湖面を歩いてくる人影が、船上からはっきりと見えたのでしょう。

ぬりえ

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