山上の教えの最後の部分。一行で表すとこうなります。すべての人の守るべき黄金律=「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ 7:12)
☆あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ…(マタイ 7:2)
人間というのは、自分のことはさておいて、ひとの悪いところはやたらとはっきり見るものなんですねえ。ケンカや言い争いをしてハラが立つと、相手のことを、あいつはどんだけバカでわからずやなんだっっ!と思うでしょう? そういうのを、相手を“さばく”というのです。自分が裁判官になって、一段高い所から「おまえが悪い!」と判決を下しているようなものです。
しかしイエスはおっしゃいました。ひとをさばいてはいけません。あなたがさばいたとおりに、あなたもさばかれ、あなたが量るとおりに、あなたも量られるからです…
それは、神さまがあなたをそのように量るということでもあり、人もまた同じようにあなたを見ているということでもあります。バ〜カバ〜カ!と相手をののしっている子を見て、おりこうな子だ…とは誰も考えません。大人でもそう。人をバカにしたり、悪口を言うような人を「優秀だ」と思う人はいません。
イエスは、「あなたの目のゴミを取ってあげようと言う前に、自分の目の中の梁(屋根の重みを支えるため、家の柱と柱の間に渡す横木)を取りのけなさい」と言っておられます。人をさばく時には、まず自分が本当に正しい者にならなくてはいけないのです。
☆わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者は…(マタイ 7:24)
でも、他人をさばけるほど、いつも間違いなく正しい人がこの世にいるでしょうか。オレがルールだ!なんて人、困るよね(^_^; では逆に、ケンカしてしまっても、ボクが悪かった…とあやまれる人はどうでしょう。相手より先にあやまれる人、先に自分の罪に気づける人の方がえらい感じがするでしょう? だからあなたはそうしなさい。さばきは神さまがなさいます。
ただ、そうは言っても、実際にやるとなるとむずかしいよね。誰でも“自分は悪くない!”と思いたいもの。イエスはもちろん、そんな私たちの心の弱さを、よくご存じでした。どうすればできるのか、ちゃんと教えてくださいました。その力を神さまに求めなさい。そうすれば与えられます。神の門をたたけば、必ず開かれます…。力をいただけば、人にしてほしいと思うことを、自分の方からできるようになるのです。
そして、神の門に行くまでの注意点も教えてくださいました。
①永遠の命に至る門とその道は狭い。おおぜい入っていくからと言って、滅びの門をくぐってしまわないように。
②正しい指導者と間違った指導者を見分けなさい。“良い実を結んでいる”指導者についていくこと。
そして、③私の言葉を信じて、それを行いなさい。
私の言うことを行う者は、岩の上に家を建てる人。どんな嵐が来ても倒れることはない。言うことを行わない者は,砂の上に家を建てる人。雨や風ですぐにつぶれる…
それでは、そのお言葉どおり、イエスという岩の上に家=自分の人生を建てていきましょう。イエスのお言葉は、聞くだけでなく、それを実行していく必要があるのです。
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、
みな天国にはいるのではなく、
ただ、天にいますわが父の
御旨を行う者だけが、はいるのである。(口語訳聖書 マタイ 7:21)