(64) 主を愛せよ

律法学者たちは、何とかイエスを「ことばのわな」にかけようとします。律法に反することを言わないか… あるいは民衆の人気を失うようなことを言わないか…

☆神のものは神に返しなさい。(マタイ 22:21)

神のものは神に
デナリ銀貨を見せながらお答えになるイエス

当時のパレスチナ地方一帯は、ローマ帝国が支配していました。ユダヤ人もローマ帝国に税金を納めるよう定められています。しかし、そんなことを喜んでする者はいませんでした。特にパリサイ人は、異教の国に金を差し出すなど耐え難いと思っていました。

そこで彼らは弟子たちをイエスのところへ送り、こんな質問をさせました。「先生! 私たちは、あなたが真実な方で、人の顔色を見ず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。ところで、ローマ皇帝カイザル[1]に税金を納めることは律法にかなっているでしょうか、かなっていないでしょうか?」

「かなっている」と答えれば、ローマ帝国の統治に反発する民衆を怒らせる。「かなっていない」と答えれば、ローマ帝国に訴えることができる。どちらにしてもイエスは終わりだ… そう考えたのでしょう。しかしイエスは彼らの考えていることなどお見通しです。「偽善者たち。なぜわたしをためすのか」と厳しく批判なさると、デナリ銀貨を持って来させました。それを見せ、こう言われました。「これはだれの肖像ですか」。彼らは答えます。「カイザルのです」。イエスのお言葉は…「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」

《[1st century, denarius, Christ](1世紀 デナリ銀貨 キリスト)で画像検索》

ローマの統治の元に暮らしているのなら、納税は当然のこと。すべてを守り、与えてくださっている神さまにお返しをするのは、もっと当然のことなのです。見事に正しいお答えに、パリサイ人たちは黙ってしまいました。

☆あなたの神である主を愛せよ。(マタイ 22:37)

今度は「復活なんてものは無い」と主張するサドカイ派の学者たちがイエスに挑んできました。律法には、子に恵まれないまま夫に先立たれた妻は、夫の弟と再婚しなくてはならないとある。では復活した時はいったい誰の妻になるというのか!? しかしイエスの回答は明快です。誰の妻でもない。なぜなら復活のからだはもう結婚や出産を必要としないものだから!

イエスの言葉じりを捕えて言い負かそうという試みは、ことごとく失敗していきます。このやりとりを聞いていたパリサイ派の一人が、それでもイエスに尋ねてきました。「律法の中で一番大切な戒めはどれですか?」 質問したのは“イエスをためそうとした”からだとあります。

その質問への主イエスのお答えは…

『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

(口語訳聖書 マタイ 22:37–39)

神を愛し、隣人を愛する。たった2つ。ユダヤの指導者たちでさえ、律法のおおもとにあるのはこの2つだということはわかってはいたようです。「このあとはもうイエスに尋ねる者がなかった」と書かれています。皆シーーンとしてしまったのですね。

神の国に入るのに必要なのは、何百もの決まりを守ることではなかった。そのことを正しく教えて人類を救うために、神さまは御子をこの世に送ってくださったのです。その愛を大いに喜びましょう。

参考

[1] 「カイザル」は「皇帝」の意味で、人名ではありません。この時代のローマ皇帝は、初代皇帝アウグストゥスの養子、ティベリウスです。デナリ銀貨には、ティベリウスの頭像と「神として崇められるアウグストゥスの子、カイザル・ティベリウス」という銘がラテン語で刻印されていました。つまりユダヤ人たちは、ローマに支配されていることへの反発だけでなく、皇帝を神と呼ぶこと=偶像礼拝への抵抗感もあって、“デナリ貨で納税する”のを忌み嫌っていたのです。

城山キリスト教会 関根弘興師礼拝メッセージ@2016.9.23
城山キリスト教会 関根弘興師礼拝メッセージ@2016.9.30

ぬりえ

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