(1) イエス・キリストの系図

旧約聖書のいちばん最後は、“預言者エリヤ(=バプテスマのヨハネ)が遣わされてくる”。そして新約聖書のいちばん最初は… 「イエス・キリストの系図」です。

☆アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ…(マタイ 1:2)

マタイ1章は、アブラハムからイエスまでの系図です。新約では、ルカ3章にも系図が出てきます。この2つの系図をくらべると、困った問題があります。そっくりの箇所と、まったく別の系図になっている部分とがあるのです。

その理由は神学者たちによってずいぶん研究されていて、いくつかの説が考えられているようです。どれほど正確な系図がわかったとしても、イエスさまは「神の子」であって、人間の両親や先祖のおかげで生まれてきたわけではないのだから、そんなに意味があるのかな?と思わないでもありませんね。でもユダヤ民族にとっては、系図はたいへん重要なものなのです。「救い主はダビデの家系から生まれる」と言い伝えられてきたからです。

そして私たちにとっても重要なことがあります。系図なんて、ほとんど「表」のようなもの。文章の言い回しがちがうと解釈もちがってくる… などといったあいまいなジャンルではありません。それがここまでくいちがっているのに、聖書というのはまったく修正もはからず、そのまんま編纂しているのです。ほかにも、明らかなつづりの間違いなども、訂正せずにそのまんまだそうです。つまり、大昔(約3500~2000年前)に書かれた本を、どこも変えられることなく、現代の私たちが読めるというわけです。

☆聖書のことばを読んだことがないのですか(マタイ 21:42)

旧約には一回も出てきませんが、新約にはたくさん出てくる言葉があります。それは「聖書」。そう、新約の時代に聖書と言えば、“旧約”聖書のことです。

The Digital Dead Sea Scrolls(デジタル死海文書)

イエスさまは、人々に神さまのことを宣べ伝える時、「聖書にこう書いてある」と、いつも「聖書の言葉」が証拠/根拠であるとしてお話しされました。

巻物
イエスさまも私たちと同じ聖書を読んでおられました

たとえばマタイ21章にこういう場面があります。イエスさまを讃えて、幼い子供たちまでが「ダビデの子にホサナ(Hosanna=ヘブル語で「いま救いたまえ」の意)!」と喜び叫んでいました。しかしその声を聞き、イエスをたたきつぶそうとする祭司長や律法学者たちは、怒り狂ってイエスにつめよるのです。子供たちが何と言っているかお聞きですか!!
イエスさまは答えられました。

「そうだ、聞いている。
あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』
とあるのを読んだことがないのか」。

(口語訳聖書 マタイ 21:16)

これは詩篇8篇にある聖句です。
《実際に聖書を開き、詩篇8:2を確認して読む》

イエスさまが「聖書」と呼んで読まれていたものとまったく同じものを、二千年後の私たちが読むことができるのです。

同じ話のはずなのに、書いた人によって表記がちがってしまったり、字がまちがっていたり。文章のつながりがヘンだったり。けれどそれを、おかしいからといって人間が勝手に直してきたりはしませんでした。それは神さまの霊によって書かれたものだからです。聖書はたしかに読み方のむずかしい本だとは言えます。でももし解釈をまちがえてしまっても、心配することはありません。みこころを求めてさえいるなら、神さまがちゃんと「修正」してくださいます。

ぬりえ

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