「わたしは、いのちです」

2011年3月11日、東北/北関東地方の太平洋沿岸が大きな地震による津波にのまれ、大変な被害を受けました。津波に遭わなかったみんなも、テレビや新聞で見て、恐く悲しく思ったでしょう。

☆だから、目をさましていなさい(マタイ 25:13)

地震や津波で大切なものをなくしたおおぜいの人たちを、これから長い年月、日本中で支えていかなくてはなりません。
私たちのやるべきことは;
1) 被災者や被災地について正しく知り、思いを寄せること
2) 自分があげたいものではなく、相手が必要としているものを差し出すこと
3) 神さまのみこころがこの世でなりますようにとお祈りすること
この3つです。

そしてもうひとつ、私たちが考えておかなくてはならない大事なことがあります。

テレビを見ていると、いろいろな人が、被災者のことを語っていますね。その多くは、まるで自分が「死なない人」であるかのように思っているみたいです。ですが、もちろんそれは錯覚に過ぎません。人間には「死ぬ人」と「死なない人」がいるわけじゃない。災害から間一髪逃れたり、それを遠くから見ていたりする人も、いつかは「死ぬ人」です。いつどんなふうに死ぬかが、人それぞれ違うだけ。だから、津波で亡くなった人は“バチが当たったのだ”と考えるのは間違いです。

また、“罪もない人に神さまが残酷な仕打ちをした”と考えるのも間違っています。人間の身体が滅びるのは、人間が自分で招いてしまったことだからです。神さまは、かわいい私たちを危険な目にあわせないよう、ここからは出ちゃダメだと柵を作ってくださったのですが、人間は、「ホントは柵の外はパラダイスなんだよ…」という悪魔の声にまどわされて、柵を乗り越えてしまいました。しかし柵の外は、パラダイスどころか、闇の世界だったわけです。

かしこい娘 おろかな娘
いつも神さまを見上げ イエスさまの手を離さずにいましょう

その闇の中の私たちを救うため、イエスさまは来てくださいました。そしておっしゃいました。準備をせよと。旧約聖書(36) ゼパニヤ書(ゼファニヤ書)

「だから、目をさましていなさい。
その日その時が、あなたがたにはわからないからである。」

(口語訳聖書 マタイ 25:13)

ともしびの油をいつも用意しておきなさい。いちじくの枝をよく見て、葉が出て来たら夏が近いと気づきなさい。人の声(悪魔にまどわされた人の声)ではなく、私のことばを信じていなさい…
そうすれば「その時」が来ても、あわてることなく、“花婿といっしょに結婚祝いの席に迎え入れられる”のです。

このイエスさまのおことばは、イスラエルの都エルサレムに悲惨な滅亡が訪れる時のためのものであり、この世の終わりの時のためでもあり、そして私たち一人一人の人生に向けられたものでもあります。たしかに、聖書の登場人物の中で、“準備をしていた”人たちは、長寿を全うした人も殉教した人も、希望と平安のうちに生涯を終えています。

それでも、私たちはとにかく死んだことがないんだから、恐いよねえ、初めてなんだから(^_^;
でもね、傍目には苦しそうな死に方、無惨な殺され方をしているように見えても、その瞬間には神さまがすごい幸福感を用意してくださっているのかもしれませんよ。だって、その瞬間の不幸はすべてイエスさまが代わりに負ってくださったのだから。だって、結婚パーティにウェルカムされているんだから!

信じる者になりなさい
「わたしを信じる者は 死んでも生きるのです」

ぬりえ

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