よみの力から解き放つ方

聖書に登場する復活の預言で最古のものは、なんと紀元前750年頃の記述です。旧約聖書の、預言者ホセアの書に出てきます。“主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ!”

☆わたしはその行いに報い、…(ホセア 4:9)

確かにイエスは十字架刑の後、三日目に復活されました。そして、イエスに従う者は同じように復活すると約束してくださっています。「復活」がどのようなものか、イエスの復活からは800年近く前、現代から言えば2800年近くも前から、神さまは人類にお示しくださっていたのですね。

その時代イスラエル[1]の民は、「二日後には生き返るぞ〜」とか言っていたわけです。が。彼らはとてもヘラヘラしていていい状態ではありませんでした。この時に限らず、そもそも旧約聖書自体、救いの“出発地点”として選ばれたユダヤの民が、神を忘れる→痛い目に遭う→悔い改める→許される→すぐまた忘れる→痛い目に遭う→悔い改める…を繰り返した記録。この時は何度目かの “また忘れる”→もうすぐ痛い目に遭う…のあたり。神さまの導きを信じてどーんとしていればいいものを、北の大国アッシリヤと南の大国エジプトの、どっちにつけばいいんだあぁ!とうろたえまくっていたのです。

そして彼らは、どっちが勝っても生き残れるよう“どっちにもイイ顔をしておく”作戦を選びました。「私の守りのうちにいなさい」と呼びかける神さまの声を聞きもせず。やがて神さまは、その態度にふさわしいこらしめを与えられました。どっちにもイイ顔、つまり“いつかどっちかを裏切る”作戦に腹を立てたアッシリヤによって、北イスラエル王国は滅ぼされたのでした。

☆わたしはあわれみで胸が熱くなっている(ホセア 11:8)

ごめんなさい イエスさま
主は私たちが神に立ち返るのを 胸を熱くして待っておられる

そんなずるいやり方をしたら、神さまに叱られて当然だ!と思いますか? だけど私たちも、日本人でも、幼い子供でも、同じようなことをやってしまうんですよ。

神さまの方を向いていないと、人間は恐怖にとらわれてしまうからです。この世の何よりも強い神の御力を知っていれば、恐れをしのぐ大きな力に支配されます。が、神に背を向けると、目の前は暗やみです。そこにひそんでいる(ような気がする)怪物に向かって、空を切るばかりのパンチをくり出すようなマネをしてしまうのです。

神さまは、そんな人間の弱さをよくご存じです。だから何度も「私の元へ帰ってきなさい」と呼んでおられます。と言って、悪いことをする者をそのまま受け入れてはくださいません。AくんにもBくんにも「味方するよ」と言いながら、負けそうになった方を平気で裏切るような子が簡単に幸せになったら、そんなのおかしい!!と思うでしょう? 神さまは悪い行ないは必ずさばかれます。でもそのさばきの最中でさえ、胸をかきむしられる思いでいらっしゃるのです。

どうして、あなたを捨てることができようか。…
わたしの心は、わたしのうちに変り、
わたしのあわれみは、ことごとくもえ起っている。

(口語訳聖書 ホセア 11:8)

気づいてほしい。神に背を向けることがどれほどおろかなことか。帰ってきてほしい。あなたを本当に救うことができるのは、神であるわたしだけなのだから。
「悔い改め」とは、“悪いことをしないようにガマンして、いい子になるようがんばること”…ではありません。“ただふりむいて神さまを見ること”です。神さまはあなたの傷を完全にいやし、復活のからだと永遠の命を与えてくださいます。

参考

[1] イスラエルの十二部族は、ソロモン王の死後、2つの王国に分裂していました。サマリヤを首都とする北イスラエル王国(10部族)と、エルサレムを首都とする南ユダ王国(2部族)です。ホセアは北イスラエル王国の市民だったと考えられます。

ぬりえ

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