(3) メシヤ降誕

聖霊によって神の御子を宿したマリヤを、ヨセフは迎え入れて結婚しました。もうすぐ赤ちゃんが生まれそうだという頃、二人はベツレヘムへ旅をすることになりました。

☆ヨセフも…、ダビデの町へ上って行った(ルカ 2:4)

その頃(現在では紀元前5年頃と考えられています)、イスラエルはローマ帝国に支配されていました。そのローマの皇帝から住民に対し、自分の部族の町で住民登録をせよというおふれが出たのです。ダビデの血筋であるヨセフは、ガリラヤ地方にあるナザレの村から、ユダヤ地方にあるダビデの町ベツレヘムに行き、登録するというわけです。

イスラエルは、それほど広大な国ではありません。関東平野よりちょっと広い程度です。首都エルサレムを東京駅あたりとするなら、ベツレヘムは新宿くらい? ガリラヤは北関東か… 湖があるし、ちょうど茨城県といったところでしょうか。ただしもちろん、電車も車もありません。貧しい人々は、らくだやろばに乗ることもできず、三日ほどかけて歩いて行ったのです。

《二筆で書けるイスラエルの地図》

map-ナザレ・エルサレム・ベツレヘム
ナザレ エルサレム ベツレヘム

当時は徒歩で旅をするのはあたりまえで、エルサレムには祭りに参加するために毎年上っていたでしょうから、慣れた道行きではありました。ただ、おなかの大きな女性にとっては、楽な旅ではありません(ヨセフはマリヤをろばに乗せて行ったという伝承もあるようです。聖書には記述がないので詳細不明)。それでもヨセフは、マリヤをつれて出かけました。妻も登録せよというおふれだったのかもしれません。だとすれば、二人はそれも、神のご計画だと思ったでしょう。メシヤはベツレヘムで誕生するという預言が、実現に向かうしるしだからです。

ダビデの町へ
ベツレヘムに向かうヨセフとマリヤ

☆主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました(Ⅱコリント 8:9)

旅のあいだも、やはり神さまはお守りくださり、二人は無事にベツレヘムにたどりつきました。ところが、ダビデの家系と言っても、その人数たるや、町中の宿屋がごったがえすほどの多さになっていたようです。

月が満ちて
ヨセフとマリヤは宿屋に泊まることができませんでした

おそらくマリヤの体調に合わせてゆっくりとやってきた二人には、もう泊まる場所が残されていませんでした。彼らはなんと、家畜小屋[1]に泊まることになったのです。そして…

彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。
客間には彼らのいる余地がなかったからである。

(口語訳聖書 ルカ 2:6–7)

聖家族
二人は赤ちゃんを布にくるんで 飼葉おけに寝かせました

飼葉おけ。牛や羊が食べるエサ箱です。これほど貧しく、質素なゆりかごがあるでしょうか。この赤ちゃんが神さまのひとり子であられるなら、世界中、歴史上の、どの王家の王子よりも、はるかに位の高いお方であるはずなのに。

しかし神さまは御子に、王宮も召使いもお与えになりませんでした。徹底的に貧しい境遇におかれました。御子をこの世に送られた目的は、何百年も前からはっきりしていたからです。それは、私たち人間ひとりひとりを、滅びへの道から救い出すことです。どれほど貧しく寂しい者であっても、その心に寄り添って救い出すことができるようにです。主は、私たちのために、この世でもっとも貧しい姿となって現れてくださいました。それは私たちが、主によって富む者となるためだったのです。

参考

[1] 日本では「馬小屋」と訳されてしまうことが多いですが、宿屋が馬を飼うことはありませんでした。馬は軍隊の乗り物であり、庶民はロバや牛を飼っていたのです。聖書でも、馬は戦闘の象徴、ろばは平和の象徴です。「馬小屋」という言葉のイメージに引きずられて馬を描き込んでしまわない方がいいと思います。
なお「小屋」とは書きましたが、実際には家屋のようなものではなく、山中の洞穴であったと考えられています。

ぬりえ

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