イエスさまが宣教を始められたのが30歳ころのこと。ヨハネはイエスさまとほぼ同い年[1]ですから、彼もやはり30歳くらいだったでしょう。
☆私よりもさらに力のある方がおいでになります(ルカ 3:16)
大人になったヨハネは、ユダヤの荒野で生活していました。荒野というのは、文字どおり荒れた土地です。
《[Judean Wilderness](ユダヤの荒野)で画像検索》
彼の食べものといったら、イナゴと野蜜。服はラクダの毛織物で、腰には皮の帯。野生児ですね[2]。
そんな彼に、ある日神の言葉がくだりました。彼はヨルダン川のほとりにおりて行き、その地方一帯で人々に福音を告げました。救い主が来られる! 自分の罪を悔い改めて、準備せよ!
そのヨハネのもとには、ユダヤ全土から人々が集まってきたとあります。みんな救い主の訪れを待ちわびていたのですね。そんな彼ら一人一人に、ヨハネはバプテスマを授けていきました。自分の罪を告白して悔い改めた人を川にぽちゃりとひたします。水から上がった時には、その人の罪は清められたとされるのです。
群衆は皆、もしかしたらこの方こそ救い主さまではないのかと考えていました。しかしヨハネは答えました。「私ではない。」 私よりもさらに力のある方が私のあとから来られる、と。
わたしはかかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
わたしは水でバプテスマを授けたが、
このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう。(口語訳聖書 マルコ 1:7–8)
当時、客のくつをぬがせて足を洗うのは、奴隷の仕事でした。これだけ多くの人に崇拝されても、ヨハネはカン違いすることなく、自分の立場を正しく理解していました。
☆悔い改めにふさわしい実を結びなさい(マタイ 3:8 ルカ 3:8)
バプテスマを授けるとともに、ヨハネはたくさんのことを人々に教えていきました。ユダヤ人の中には、ただユダヤ人であるというだけでOK、アブラハムの子孫だったらみんな救われて天国に行ける♪と考えている人がおおぜいいたのです。そんな彼らを、ヨハネは厳しくいましめました。神は、そのへんの石ころからでもアブラハムの子孫を作り出せるのだ。悔い改めもせず、良い実を結ぶことのない木は、みな切り倒されて火に投げ込まれてしまうだろう!
焦った人々は口々にたずねます。「私たちはどうすればよいのでしょう。」 ヨハネは言いました。持っている者は持たない者に分けてやりなさい。権力があるからといって人を責めたり、人の物を奪い取ったりしてはいけません。悔い改めたのなら、それにふさわしい実を結びなさい。…
今の日本でも、クリスチャンになる時にはバプテスマを受けます。教会によって形はいろいろです。チャペルの中にある洗礼槽に浸かったり、牧師先生が手を聖水に浸して受洗者の頭を軽くおさえたり。川や湖などで行なうこともあります。
《自分の教会の洗礼写真を見せる》
しかし形は違っても、バプテスマの意味はひとつです。神に背を向けて闇の中をさまようのをやめ、まうしろをふりむくこと。イエスさまを真正面から見て、明るい光の世界を歩んでゆこうと決意することです。
参考
[1] イエス・キリストの生涯 (2)バプテスマのヨハネの誕生
[2] 荒野で暮らすというイメージから、ヨハネは野性的に、対照的にイエスは繊細で理知的な感じに描かれることが多いようです。でも実際には、ヨハネは祭司の子(しかもおそらくは一人っ子)、イエスは大工の子(少なくとも6人の弟妹がいた)として育ちました。案外見た目には想像と逆だったかもしれません。髪も、イエスは短く(根拠=パウロが「長髪は男の恥」と書いている@Ⅰコリント11:14)、ヨハネは長かった(根拠=父ザカリヤがヨハネをナジル人として育てたと考えられる@ルカ1 ザカリヤの歌)可能性が高いとする説もあるようです。
このサイトでも、イエスさまのビジュアルについては迷いましたが、「子供でもひとめでイエスさまとわかる」を重視しました。