ゲツセマネの園でイエスが逮捕された時、弟子たちは皆逃げ出してしまいました。が、やはり心配だったのでしょうか。カヤパ邸の敷地内に潜り込んだ弟子がいました。
☆「いや、私はその人を知らない」(ルカ 22:57)
混乱にまぎれてカヤパ邸まで忍んで来たのは、ペテロとヨハネ。ヨハネの福音書には、ヨハネはカヤパと知り合いだったとあります。エルサレムの神殿で奉仕する大祭司とガリラヤの漁師が、なぜ知り合えたのかはわかりません。何にせよヨハネは、門番が立っている屋敷の門をパスして中庭に入ることができました。それから門番の女中と適当に話をつけ、門の外にいたペテロを呼び込みました。
中庭ではたき火をしており、大勢がその周りにすわりこんでいます。ペテロはさりげなくその中に混じり、室内で行われている裁判の様子をうかがっていました。すると女中の一人がペテロを見咎めて言ってきたのです。「あなた、あのナザレのイエスと一緒にいた人だよね…」
「知りません。何のことだか。」 ペテロは答えました。そしてその場をあわてて離れ、出口の方まで行ったのですが、やはり出て行ってしまうことはできず、そのあたりにこっそりと立っていました。しかし今度はそこにいた人々に糾弾されます。おそらくちょっとしたやりとりでもした時にガリラヤなまりが出たのでしょう。「ガリラヤ人だ! あなたもイエスの仲間だね!」 ペテロはまた必死で打ち消しました。「そ、そんな人は知らないっ」
ここまでおびえながらも、主を振り捨てて走り去ることは、彼にはできませんでした。ペテロには妻がおり、もしかしたら子供もいたかもしれません。主を救いたい気持ちは強いが、武器を取ることは禁じられている…。彼の心はいろいろな思いでがんじがらめになっていたのでしょう。
☆主は振り向いてペテロを見つめられた。(ルカ 22:61)
びくびくしつつ、しかしそれから一時間ほどもペテロは中庭でがんばっていたようです。が、ついに決定的なことが起こってしまいました。ゲツセマネでペテロを目撃したという男が現れたのです。しかもそれは、逮捕騒ぎの時、ペテロが剣で耳を切り落とした人の親類…。絶体絶命…。知らない! 何のことかわからない! …彼がのろいをかけてまで誓い始めたその時。ニワトリの鳴き声が響きました。ハッとするペテロ。気づくと、室内の主イエスが振り向いて彼のことを見つめていらっしゃいました。
そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、
三度わたしを知らないと言うであろう」
と言われた主のお言葉を思い出した。(口語訳聖書 ルカ 22:61)
ペテロは今度こそ門の外に駆け出て行きました。主のためなら命も捨てると言ったのに… そう思ってさえいたのに…! どうして、どうして自分は主のことを知らないなどと言えたのか!? それも三度も… 主のおっしゃった通り三度も! 彼はその場で号泣したのでした。
この話は四福音書のどれにも書かれています。ペテロは後に自分のみじめな失敗をあえて打ち明けたのでしょう。彼だけでなく、人は弱いものなのです。でも大丈夫。イエスさまは全てご存じで、祈り、支えてくださっています。だから立ち直った時には、もっと強くなっているのです。
参考
立川福音自由教会 高橋秀典師礼拝メッセージ@2017.4.9
[2] 「ペテロの否認」を描いた画家たち
「The Denial of St. Peter(1622–1624)」Gerard van Honthorst
「The denial of Saint Peter(1650)」Georges de La Tour
「The Denial of Peter(1660)」Rembrandt Harmenszoon van Rijn 他