自分は、苦しみを受け、殺され、そしてよみがえる… 弟子たちを混乱させるお言葉を語ってから六日後。イエスは3人の弟子だけを連れて、高い山に登られました。
☆御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。(ルカ 9:29)
3人の弟子とは、ペテロ、そしてヤコブ&ヨハネ兄弟。イエスが山に登られたのは祈るためでしたが、弟子たちは最初、眠気と戦っているような状態でした。このあとも、彼らは肝心なところでウトウトしたりしています。よほど疲れていたのかもしれません。彼らはみな漁師。体力の無い人たちではないはずです。連日、イエスに追い迫る大群衆を仕切るのは、大変な仕事だったにちがいありません。
ところが、そんな弟子たちの眠気をふっとばすできごとが、彼らの目の前で起こりました。祈っておられるイエスの様子が、いきなり変わり出したのです。お顔は太陽のように光り、着物は真っ白に輝き始めました。しかもそこに二人の人物が姿を現します。イエスと語り合うその二人はなんと、モーセとエリヤ! 当時より1300年ほど前[1]、ユダヤ人をエジプトから救い出したモーセ! やはり800年ほど前、異教徒バアルの預言者たちを一人で蹴散らした偉大なるエリヤ! ユダヤ人にとってはまさに「聖書の二大ヒーロー」!!
弟子たち3人はビッッックリ。あわわわ…となってしまったようです。ペテロなどはもう、わけのわからんことを口走っています。なんてすばらしい… 私たち、ここに幕屋を建てちゃいます… あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ… って、なんで幕屋(^_^? お祀りでもしようと思ったか? とにかくその光景は、そこまで人を呆然とさせるほど神秘的なものだったのでしょう。[2]
☆いま見た幻をだれにも話してはならない。(マタイ 17:9)
この光景は、驚異的なエンディングで突如閉じられました。光り輝く雲があたり一帯を包んだかと思うと、雲の中から声が聞こえてきたのです。これは私の愛する子… 私の選んだ者… 彼の言うことを聞きなさい…。弟子たちは、この世のものとは思われぬ声に、ひいぃぃっ!とその場に突っ伏しました。
「起きなさい。恐がることはない。」イエスのお声がして彼らが目を上げて見ると、そこにはもう主イエスの他には誰もいませんでした。山を下りて帰る道々、イエスはまた謎めいた言葉をおっしゃいました。
「人の子が死人の中からよみがえるまでは、
いま見たことをだれにも話してはならない」(口語訳聖書 マタイ 17:9)
“死人”ってなんだ…? よみがえるとはどういうことだ!?… 弟子たちにはどうしてもその意味がわかりません。ただ、さっきの光景があまりにも強烈であったがゆえに、この主の命令も、強く心に留まりました。彼らは主の復活を見るまで、このことを決して誰にも話しませんでした。[3]
主がモーセやエリヤと語っていらしたのは、十字架でのご最期についてでした。それを聞いても、いや何回説明されても、弟子たちには“新しき王が殺される”とは信じられなかったでしょう。でも、それが現実に起こったとしても、主の本当の栄光の御姿は、その先に確かに出現するのです。神さまは、必要な時にはそれを見せてくださいます。
参考
城山キリスト教会 関根弘興師礼拝メッセージ@2018.7.22
[1] 長いこと「BC1500頃」と言われてきましたが、現時点では「BC1300代」説が有力のようです。いずれにしても、ここまで遠い過去のことになると、人間が正確に知るのは難しいでしょうね。
[2] 弟子たちはどうして、出現した人物がモーセとエリヤだとわかったか? 彼らはモーセとエリヤの見た目は絶対に知らないはずなのに…。この謎にも確答がありません。イエスさまが「モーセよ」「エリヤよ」と呼びかけられるのを聞いたのかもしれない。あるいは“聞かずともわかる”システムになっているのか(笑) 後者だった場合、死後の姿はなかなか便利ですね。
[3] 主のよみがえりののちに、ペテロは証言しています。私は本当に見た! 主の御威光を! 確かに聞いた! 神の御声を! そう、あの時…(Ⅱペテロ 1:16–18)