(3) レビ記

イスラエルには12の部族があり、モーセはレビ部族の人でした。レビ部族は、祭司(神に仕える人)の仕事をするよう神さまに命じられました。

☆あなたがたが自分の身を聖別するなら(レビ 20:7)

エジプトを脱出したあとしばらくして、モーセとイスラエルの民は、シナイ半島南部のシナイ山に到着しました。その民に神さまは、神殿(建物)ではなく、天幕(持ち運びできる組立式テント)の礼拝所を造らせました。それは「民がどこに移動しても、神さまはいつも一緒に住まわれる」ことを意味していました。その天幕で、神さまはモーセに、民の守るべきおきてをお与えになったのです。今で言うなら「法律集」みたいなもの。それがレビ記です。

会見の天幕
会見の天幕で贖罪の儀式を行なう初代祭司アロン

レビ記には、神にいけにえをささげる儀式について、とても細かく書かれています。こういう罪を犯したら牛。この罪の場合は羊。またはヤギ。無傷のものでなければならない。罪を犯した者はその頭に手を置く。どこそこでほふる。祭司はいけにえの血をとり、どこに塗って、あそこに注いで、それからあの部位とこの部位を祭壇で焼いて、そうすればその人の罪は赦される…。

本当に複雑で大変です。しかし、これらの細かいおきてによって神さまが与えようとしておられるのは、ただ一つのことだったのでした。

ゆえにあなたがたは、みずからを聖別し、
聖なる者とならなければならない。…
あなたがたはわたしの定めを守って、これを行わなければならない。
わたしはあなたがたを聖別する主である。

(口語訳聖書 レビ 20:7–8)

聖なる神に近づくには、人間も聖なる者とならなければならない。でも人間は全員罪を背負って生きているわけですから、そのままでは誰も神のそばに行かれないことになってしまいます。そうならないよう、身代わりとして動物を捧げることで罪が赦される…という形をとって、救いが与えられていたわけです。

☆世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ 1:29)

それから千数百年ののち、あるいけにえが神にささげられました。祭壇ではなく、十字架の上でほふられました。罪人がその頭に手を置くことはしませんでしたが、代わりに十字架上に「ユダヤ人の王」と書いた板が打ちつけられました。わき腹を槍で突くと、いけにえの血が流れ出し、十字架に注がれていきました。

そう、そのいけにえとはキリスト・イエスでした。イエスさまがいけにえの小羊となって命をささげてくださり、代わりに私たちの罪が赦されました。イエスさまが亡くなったその時、地震が起こり、神殿の幕が上から下までまっぷたつに裂けたと書いてあります。神殿の幕とは、神さまのおられる聖所と人間のいる世とを隔てていたものです。それが裂けた、つまりイエスさまは、人間が神さまのおそばに近づけるようにしてくださったのです。

私たちはもう、いけにえの小羊をささげる必要はありません。罪のために闇でもがくこともありません。「イエスさまが私の身代わりになってくださいました」と宣言するなら、あなたはすべての罪から解放されて、自由になったのです。

ぬりえ

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