(4) 民数記

エジプトを出たモーセとイスラエルの民は、神さまから「与える」と約束された土地カナン(今のパレスチナ)を目指しました。民数記は、旅立つ際に民の数を数えたことから、そのように呼ばれています。

☆民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた(民数記 11:1)

エジプトを出て2年め。シナイ山で神さまを礼拝し、十戒(神さまのおきて)を与えられたモーセと民は、いよいよ約束の地に向かって出発します[1]。この時の人口調査によれば、20歳以上の男子(軍務につける者)だけで約60万人。総人口はおそらくその4〜5倍でしょう。国ひとつ分の人が移動するようなものですね。

だから神さまは、宿営する時も移動する時も、イスラエルの12部族にきっちり隊列を組むよう指示なさいました。そして、どこに宿営するか、どちらに進むのか、すべて教えてくださいました。荒野には水も食べ物もろくにありませんが、必要な時は神さまが充分に与えてくださいました。

そこまで神さまが導いてくださっているというのに、民はちょっとつらいことがあると、ぐちぐちぎゃーぎゃー文句ばかり言っていたのです。

☆ただ、主にそむいてはならない(民数記 14:9)

カレブとヨシュア
カレブとヨシュアの言葉を 民は聞こうとしなかった

それでもなんとか目的の地カナンの近くまで来ると、モーセは12部族の族長(リーダー)を呼び、その12人に敵地をさぐってくるよう命じました。約束の地とは言え、そこには敵が住んでいます。突撃すれば戦いになるでしょう。12人はカナン中をこっそり調べ、40日後に戻ってきました。

カナンが実り豊かな素晴らしい土地であることは、彼らが切り取ってきた果物のりっぱさでわかりました。しかし、それを見て喜んだのもつかのま。民は、偵察に行ったうちの10人からとんでもないことを聞かされたのです。「あんな大きな町と戦っても勝てやしない! 住民は背も高くて、強そうで、俺たちが負けるに決まってる!」彼らは戦うのが恐かったのでしょうか。残りの2人の族長 カレブとヨシュアだけが神の御力を信じて言いました。「私たちが主の御心にかなえば、主はあの乳と蜜の流れる地を私たちに下さるだろう。ただ、主にそむいてはならない!」

しかし民は二人の言葉を聞くどころか、怒り出し、またもや泣きわめきました。
「こんなことならエジプトにいた方がましだったああぁぁ!」
それでも神さまはモーセのとりなしを聞き入れ、この自分勝手で信仰のない民を赦そうと言ってくださいました。

ただし! むろんさばきはくだりました。

「エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、
わたしがかつて、あなたがたを住まわせようと、
手をあげて誓った地に、はいることができないであろう。」

(口語訳聖書 民数記 14:30)

エジプトからカナンまでは、近道を通れば350kmくらい。東京駅からだったら名古屋あたりですね。老人や子供、家畜も一緒の徒歩旅行だとは言え、まあ1年もかかる距離ではありません。ところがこの民の不信仰が、この距離を一生の旅にしてしまいました。不信仰な世代が死に絶え、その子供たちの世代に交代するまで、なんと38年もの歳月を荒野で過ごすことになってしまったのでした。

神さまのお約束は、最も良い時に必ず果たされます。試練にうろたえて泣きわめくと、ムダな遠まわりをすることになりますよ。

参考

[1] 二筆で描けるイスラエルの地図

ぬりえ

シェアする