(68) 最後の晩餐

弟子たちの汚れた足を、まるで奴隷のように洗ってくださったイエスさま。弟子たちは恥じ入ったかもしれませんが、それでも食事は静かに再開されました。

☆あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。(マタイ 26:21)

ところがイエスは、今度は弟子たちがもっとつらくなるようなことをおっしゃったのです。「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」 …どういうことだ!? え? ええっ!? 裏切るってなんだ、誰がそんなことをする!? 師のあまりの言葉に、弟子たちはうろたえてしまいます。主よ、まさかわたしのことじゃないですよね!? 皆が口々に言い始めたので、ペテロが、イエスの隣にいたヨハネに合図しました。(誰のことを言っておられるのか聞いて)と。「主よ、それは誰ですか?」ヨハネの問いに、イエスは答えます。「わたしと同じ鉢にパンを浸した者です。」

それはユダでした。イエスは自分のパンを鉢に浸すと、それをユダにお与えになりました。福音書記者ルカと同じ言い方で、ヨハネもまた記しています。“その時、サタンがユダにはいった”。イエスは、ユダにおっしゃいました。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」

他の弟子たちはまだ気持ちが混乱していたのでしょうか。こんなにはっきりと「ユダが裏切る」と宣言されているのに、わからなかったようです。祭りに必要なものを買って来いと言われたのかくらいに思っていました。ただひとりユダだけが気持ちを固めました。ここでならまだ悔い改める方に固めることだってできたのに…。しかし彼は、扉を開け、夜の闇の中に出て行きました。

☆これはわたしの契約の血です。(マルコ 14:24)

十一弟子
ユダが去り 弟子たちは11人になっている

過越の祭りとは、それより千数百年前、ユダヤの民がモーセに率いられてエジプトから脱出したことを記念するお祝いです。一晩で逃げ出さなくてはならなかった彼らが、大慌てで持ち出した種入れぬ(イースト菌を入れない)パン、エジプトでの奴隷生活を忘れないための苦菜(ホースラディッシュ)、神殿でほふられたいけにえの子羊、神の恵みを表す甘いハロセット(ドライフルーツの煮物)、そしてぶどう酒。まず主人が祈り、杯を回し、決められた聖句を少しずつ読みながら、1種類ずつ食していくのです。[1]

パンをいただく時になると、イエスは祝福の祈りをし、パンを裂いて弟子たちに渡されました。

「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」

(口語訳聖書 ルカ 22:19)

食事のあと今度はぶどう酒の杯を取り、やはり感謝の祈りをなさると、弟子たちにおっしゃいました。

「この杯は、あなたがたのために流す
わたしの血で立てられる新しい契約である。」

(口語訳聖書 ルカ 22:20)

これが今も教会で行なわれる聖餐式の始まりです。この時はまだ、弟子たちにはその意味がわかりませんでした。新しい契約とは「新しい出エジプト」。エジプトでの奴隷生活からの解放を祝うこの日に、今度はあなたがたを、罪に捕らわれた生活から解放すると約束しようということだったのです。イエスが、ご自分の血を流すことによって。

参考

[1] 「過越の祭り」体験

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