今からおよそ二千年前、世界で最初のクリスマスが祝われました。それは、日本から見るとアジア大陸の西の端、イスラエルでのできごとでした。
☆あなたはみごもって、男の子を産みます(ルカ 1:31)
《地球儀や世界地図で日本とイスラエルの位置を示す》
イスラエル北部のガリラヤにあるナザレという村に、ある少女が暮らしていました。名はマリヤ。おそらく14〜5歳だったでしょう。同じ村に住む、同じダビデ王の家系のヨセフと婚約していました。
そのマリヤのところに、神さまから御使いガブリエルが遣わされて来ました。御使いは家に入ってくると、マリヤに言いました。「おめでとう、恵まれた方。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その方はいと高き神の御子です。」
それを聞いてマリヤはひどくとまどい、考えこみました。確かにヨセフと婚約はしています。当時のイスラエルでは、婚約すれば法律上は夫婦でした。でも1年間は別々に暮らすこととされ、その後結婚のお祝いをし、それから初めて一緒に生活するのです。マリヤは恐れながらも御使いに聞きました。まだ夫となる人と暮らしてもいないのに、どうして赤ちゃんが生まれるでしょうか…。御使いは答えました。「神にとって不可能なことは一つもありません。」マリヤはやはり神の選ばれた少女でした。御使いの励ましのことばを聞き、しっかりと返事をしたのです。「私は主のものです。おことばどおりこの身になりますように。」
このマリヤの答は、本当に勇気のいるものでした。なぜかといえば、イスラエルではその時代、未婚で子供を産んだら、場合によっては死刑だったからです。命は取られなかったとしても、婚約は取り消され、ナザレの村から出て行かなくてはならなくなるでしょう。それでもマリヤはうろたえることなく、御使いの驚くべきことばを受け入れました。
☆見よ。処女がみごもっている。(イザヤ 7:14)
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ユダヤ人の家庭では、子供が幼い頃から「律法」(つまり旧約聖書)を学ばせます。マリヤも当然、すべて暗記するほど学んできたでしょう。その中には、ユダヤ人にとって最も大切な、未来への希望とも言うべき一節がありました。
それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
見よ、おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルととなえられる。(口語訳聖書 イザヤ 7:14)
インマヌエル=ヘブル語で「神はわれらとともにおられる」の意
このイザヤ預言を、彼女はきっと思い浮かべたはずです。そして何より“人ならぬ者” 御使いの威厳に満ちた姿が、少女の恐れを消し去り、信仰に立たせたのだと思われます。
このできごと、イエスは人間の父親なくして生まれたということを証言できたのは、マリヤ一人だけです。だからこの証言そのものがウソだ、あるいは作り話だ、と考える人もいます[1]。ですが、これが真実でないということが二千年以上も証明できないということがありうるでしょうか。いえ、それどころか、二千年以上にわたって、世界中の何千億人もの人々が、この貧しい、地位も権力もない少女の証言を信じ続けるなどということがありうるでしょうか。
ありえます。神にとって不可能なことは一つもないからです。
参考
[1] 悲惨なことではありますが、この種の犯罪は洋の東西や時代を問わぬもので、当時のイスラエルでもローマ兵らによる強姦事件は数多くあったようです。自分は被害者であると証明する術はほとんどの女性にはなかったでしょうから、被害者でありながら無惨な処罰を受けた人も多かったと思われます。中には「神の子を処女懐胎した」と言い出す少女もあったかもしれません。処罰を逃れたいがための虚言か、あるいは本気でそう思い込もうとしていたのかは、推測するしかありませんが。ただ、それらの言葉はすべて、時とともに葬られていってしまいました。たったひとつの例外を除いて。そのたったひとつが真実であるかどうかは、これからの年月が証明し続けるでしょう。